前田敏子と小早川美津子

第二次大戦後まもない頃の,水素や酸素の同位体に着目した地球化学の研究論文を調べていると,二人の女性科学者の名をしばしば目にする.シカゴ大学の前田敏子と東京都立大学の小早川美津子である.

前田敏子(Toshiko Mayeda; 1923 – 2004)は,ワシントン州のタコマ市で Matsusaburo Kuki を父,Haruko (Okada) Kuki を母として生まれた日系アメリカ人である(註1).

シカゴ大学で化学を学んで1950年に卒業すると,同大学の原子核研究所(今日のエンリコ・フェルミ研究所)にいたハロルド・ユーリーに技術員(technician)として採用され,質量分析に関する実験を担当するようになる.

ユーリーの研究室では,Epstein and Mayeda(1953)をはじめとする酸素同位体に関する重要な研究で,前田が質量分析を担当した.論文の共著者に名前が挙がっていることも多い.

1958年にユーリーは定年を迎え,後任にR.クレイトンが就いた.そのクレイトンも彼女に,研究室に残って実験を担当してくれるよう強く要請した.そしてその後,クレイグの研究室から生まれる研究成果の多くが,前田による実験に支えられることになる.クレイトン曰く,前田は「亡くなるまでの45年間にわたり,研究と教育の“大黒柱”となって活躍」してくれたのである.前田は研究室の大学院生たちから”Mom”と呼んで慕われたという.

研究室を訪れた日本人研究者も彼女の世話になった.たとえば東京大学理学部の助手だった小沼直樹(おぬまなおき)が,1968-70年にエンリコ・フェルミ研究所に研究員として滞在し,アポロが持ち帰った月の岩石の分析に携わったことがある.そのときは小沼が鉱物の分離を行ない,前田敏子が酸素同位体組成の測定を担当した.

もう一人の女性科学者 小早川美津子は,都立大学理学部,大学院を経て,同学部の助手となった.千谷利三教授の研究室で堀部純男助教授らとともに重水素に着目した研究に従事した.彼女は質量分析装置を用いての濃度測定を担当し,千谷や堀部らの論文に共著者として名前が載っている.

小早川は1960年に読売新聞の連載記事「ことしを勝負する」で「一心に”水”の分析/折り紙つきの婦人科学者」と題して取り上げられたこともある.「「日本婦人科学者の会」の会員で,最年少者.先輩の猿橋勝子理博(気象研)も”将来が楽しみ”と期待する一人」と紹介された.

とはいえ小早川も前田も,論文に共著者として名前を出してはいるものの,研究への寄与は基本的に実験作業にとどまるものであり,この時代に女性科学者が置かれていた立場を色濃く反映しているように思われる.(なお小早川は,千谷が退職した翌年の66年3月に都立大学を退職した).


註1: シアトルで発行されていた日系新聞「大北日報」(The Great Northern Daily News)の1940年前後の紙面に,タコマ市の「九鬼歯科医院(九鬼松三郎)」の広告が出ている.この九鬼松三郎が前田敏子の父親ではなかろうか.

参考文献
小沼直樹 1987:『宇宙化学・地球化学に魅せられて』サイエンスハウス.
東京都立大学三十年史編纂委員会 1981:『東京都立大学三十年史』東京都立大学.
読売新聞朝刊,1960年1月18日.
Epstein, S. and Mayeda, T. 1953: “Variation of O^18 content of waters from natural sources”, Geochimica et Cosmochimica Acta, 4(5), 213-24.
Clayton, Robert N. 2007: “Isotopes: From Earth to the Solar System”, Annual Review of Earth and Planetary Sciences, 35, 1-19.
Craig, Harmon 1961: “Isotopic Variations in Meteoric Waters”, Science, 133(3465), 1702-3.
The University of Chicago 2004: “Toshiko K. Mayeda, Chemist, 1923-2004”, http://www-news.uchicago.edu/releases/04/040218.mayeda.shtml.