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新聞の夕刊、日付に要注意

今や、太平洋戦争前など昔の新聞も、主要紙であればデータベースを使ってオンラインで手軽に読むことができるようになった。一昔前、縮刷版やマイクロフィルムで読むために図書館に出かけなければならなかったのとは大違いである。 ただ、一頃ひところの夕刊については、その発行日に注意する必要がある。 下の図は、大阪毎日新聞1915年10月12日夕刊の第一面である。欄外上部を見ると、右から順にこう書いてある。 (日...
福山甚之助と新聞「家庭」

池田すゞろ とは

「池田すゞろ」という人物の寄稿(社会時評的な随想)が、新聞「家庭」の30号(1928年9月)以降にときどき掲載されている。池田すゞろ(本名 池田源之助)とはどんな人物なのだろうか。 彼について平塚常次郎が次のように述べている。平塚は、戦前に日露漁業(現ニチロ)社長、戦後は運輸大臣、衆議院議員などを歴任した実業家・政治家である。 池田は北海道のニシン漁場に生まれ、漁場の経営もやり、ニシン漁場のひとか...
福山甚之助と新聞「家庭」

『醤油の話』

家庭社が1930年に発行した『醤油の話』は、大きさが縦16cm、横11cmほど、全頁数70頁あまりの小さな冊子である。 『醤油の話』家庭社、1930年(北海道立図書館蔵) 最初の50頁ほどは福山甚三郎による「醤油の話」で、末尾には神尾三休(本名、神尾正)による「醤油小話」が添えられている。 それにつづいて次の3話が、附録として収録されている。 福山甚三郎「守愚の訓」 小佐部藤次郎「苔のむすまで」 ...
福山甚之助と新聞「家庭」

佐藤昌介(北海道帝国大学総長)をめぐって

爵位 佐藤昌介の二男 昌志まさしは、母の生家である稲田家の養子となり、稲田昌植まさたねとなった。そして1920年3月、父の稲田邦植くにたねが隠居したのにともない爵位(男爵)を継承し、1925年には貴族院議員にも選出される。 一方の佐藤家では、長男が若くして亡くなり、他の二人の男子も早く世を去ったために、五男(末子)の昌彦が佐藤家を継ぐ。佐藤昌介は1928年11月、昭和天皇の即位式に会わせて行なわれ...