福山甚三郎

福山甚之助と新聞「家庭」

『醤油の話』

家庭社が1930年に発行した『醤油の話』は、大きさが縦16cm、横11cmほど、全頁数70頁あまりの小さな冊子である。 『醤油の話』家庭社、1930年(北海道立図書館蔵) 最初の50頁ほどは福山甚三郎による「醤油の話」で、末尾には神尾三休(本名、神尾正)による「醤油小話」が添えられている。 それにつづいて次の3話が、附録として収録されている。 福山甚三郎「守愚の訓」 小佐部藤次郎「苔のむすまで」 ...
福山甚之助と新聞「家庭」

福山甚三郎は「体操のおじさん」

新聞「家庭」の第75号(1933年8月15日発行)に、福山甚三郎が札幌ラヂオ体操会会長の肩書きで、「国民体育とラヂオ体操」という文を寄稿している。 札幌大通りのラジオ体操会(出典: 「家庭」第75号) いわゆるラジオ体操は、1928年に「国民保健体操」として作られた。そして同年の11月1日から、ラジオでの放送が始まった。 そのラジオ体操は、当初、各家庭などで行なわれていた。だが、1931年の夏、東...
福山甚之助と新聞「家庭」

福山甚三郎の大阪での同窓生と北海道

福山甚作(甚之助の長兄で、のち父の名を継いで甚三郎となる)は大阪高等工業学校の醸造科を1905年7月に卒業した。 その醸造科を同じころ卒業した者のなかには、甚作のほかにも北海道で活躍した人物がいる。 大阪高等工業学校の醸造科工場出典: 大阪高等工業学校(編)『大阪高等工業学校一覧』自大正5年至6年、大阪高等工業学校国立国会図書館デジタルコレクション 一人は、大阪高等工業学校醸造科で福山甚作と同期だ...
福山甚之助と新聞「家庭」

北海道の醤油醸造業者(1925年ごろ)

1925年ごろの北海道の醤油醸造業者を、規模が大きい(醸造石数が多い)順に並べてみると、次のようになる。 醸造業者石数所在地石橋彦三郎10,364小樽市奥沢町眞栄町今井醸造株式会社3,549旭川市四条通下村正之助2,880旭川市五条通福山甚三郎2,478札幌市北4条井内謹二2,366旭川市一条丸善菅谷合名会社2,080函館市湯川通板谷商船株式会社1,858小樽市富岡町旭合名会社1,737小樽市奥沢...