中谷宇吉郎

重水素とトリチウム

千谷利三,堀内壽郎,鈴木桃太郎,中谷宇吉郎

日本で早くに重水素の研究に取り組んだ千谷利三と堀内壽郎、それに鈴木桃太郎は東京帝国大学理学部化学科で、ともに片山正夫教授のもとで学んだ同期生だった。また雪の研究で有名になる中谷宇吉郎が、同学年の物理学科にいた。彼ら4人の交遊をめぐるエピソードを紹介する。
中谷宇吉郎

中谷宇吉郎の下宿生活

数日前の北海道新聞に、『「雪の化石」時代超え輝く/札幌の女性、北大に寄贈/「雪博士」故中谷教授50年代製作』と題した、小華和靖(こはなわ やすし)記者による記事(写真3点つき)が掲載された(注1)。概略、次のような内容である。 中谷宇吉郎は米国から帰国した1954年ごろに、札幌市内の小林國子さん宅の筋向かいに下宿するようになった。小林さんは華道を教えており、宇吉郎の下宿先から頼まれて博士の部屋に時...
中谷宇吉郎

中谷宇吉郎の「この頃の札幌」

ひょんなことから、中谷宇吉郎の書いた「この頃の札幌」という一文を発見した。大森一彦(編)『中谷宇吉郎参考文献目録』にも収録されていない文章かも知れないと思い、念のため、ここに書きとめておく。 北海道放送(HBC)が1957年に発行した『北海道放送開局五周年:HBCテレビ開局記念』という冊子の中ほどに、札幌市外の航空写真(カラー)がページ見開きで掲載されている。その地図の左上に半透明紙が上端だけを糊...
中谷宇吉郎

牧野佐二郎と中谷宇吉郎

牧野佐二郎(1906 - 1989)は、北海道帝国大学の農学部を卒業すると、理学部の創設とともに農学部から理学部に移った動物学者・小熊捍のもとで助手になる。1930年のことである。このとき中谷宇吉郎も助教授として理学部に着任し、2年後には教授となる。牧野が助教授になるのは1935年、教授となるのは戦後の1947年である。したがって中谷宇吉郎のほうが牧野佐二郎より職位の面で先輩格であり、年齢も6歳上...
中谷宇吉郎

低温科学研究所と小熊捍

北海道帝国大学に低温科学研究所が誕生した(官制が公布された)のは、1941年11月のことである。そこに至るまでに中谷宇吉郎が果たした役割については、これまでにある程度、明らかにされてきた(注1)。しかし、同研究所の初代所長に就いた小熊捍(理学部長であり、低温科学研究所長を兼任した)の貢献については、詳しいことがわからなかった。『中谷宇吉郎』でも、低温科学研究所の建物の建設と実験装置の製作に必要な鉄...
中谷宇吉郎

中谷宇吉郎のラジオ出演

日本でラジオ放送が始まったのは、1925年のことである。東京・大阪・名古屋で放送を開始した。翌年、これら3つの放送局が統合されて社団法人日本放送協会となり、日本各地に放送局を開設していく。それとともに放送番組の充実も図り、ニュースだけでなく、音楽や演芸、ラジオドラマ、スポーツ中継なども放送するようになっていく。 1941年暮に太平洋戦争が始まるや、ラジオは大本営発表の媒体という色を濃くしていく。そ...
中谷宇吉郎

すばやく動き出す

北海道帝国大学理学部で敗戦後はじめての教授会が開かれた、1945年8月18日。その日、札幌の街では様々なデマが飛び交っていた。「道庁の屋上にソ連旗が翻っているそうだ」「東京に敵が上陸して一両日中には札幌に来て市中を銃剣附きで巡察する」「明日から政府が変わるので今日中に貯金の払い戻しをしないと貯金が取れなくなる」などなど。新聞には「止めよ、疑心暗鬼」「紊すな、祖国再建の歩調」などの見出しで、注意を喚...
中谷宇吉郎

敗戦後はじめての教授会

北海道帝国大学理学部では、1945(昭和20)年になり敗色の色がますます濃くなっても、月に1回(7月のみ2回)のペースで教授会を開催していた。8月は、10日金曜日に開催し、触媒研究所の教官人事などを審議するほか、疎開についても相談している。 疎開の経費を文部省に要請したが、支払ってもらえないだろう。そこで大学本部に、講座あたり1万円ずつ手当てしてくれるよう交渉する、ついては疎開させる物品のリストを...
中谷宇吉郎

『着氷』の挿絵

中谷宇吉郎は戦時中、岩波書店から「航空新書」シリーズの一冊として出版する予定で、『着氷』と題する書を執筆した(注1)。北海道のニセコアンヌプリなどで行なった、航空機への着氷を防止するための研究について、わかりやすく解説したものである。 しかし出版には至らなかった。戦局の悪化により、岩波書店が出版を断念したのである。原稿は中谷に戻された。 それから70年ほど後の2012年、「中谷宇吉郎 雪の科学館」...
中谷宇吉郎

もと宣教師館

札幌市中央区にある北星学園女子中学高等学校、その敷地内にグリーンの屋根と芥子色の壁をもつ洋風建物がある。1926年に建てられた、同校の前身・北星女学校の宣教師館(宣教師のための宿舎)で、今は北星学園創立百周年記念館として保存・公開されている。(国の登録有形文化財に指定され、札幌市都市景観賞に選定されてもいる) 北星学園創立百周年記念館(もと宣教師館) 設計者は、スイスの建築家マックス・ヒンデル(1...