重水素とトリチウム

重水素とトリチウム

核分裂の研究が公開されなくなるまでの経緯

核分裂が発見されるとほどなくして,米国や英国の科学者たちはナチス・ドイツによりそれが軍事利用されることを危惧して,核分裂に関する新たな研究成果を秘匿するようになる.研究の成果は広く公開するという原則で行動してきた科学者たちのあいだで,「研究成果の秘匿」がどのように進められていったのか,その経緯を,同時代の物理学者L.シラードの証言や,物理学史家 S.Weart の研究などをもとにまとめてみよう.(...
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杉浦兼松のがん研究と重水

重水が手に入るようになって間もない1934年、ニューヨークで、重水でがんの増殖を抑えることができるのではと考えて研究した日本人がいた。杉浦兼松である。野口英世や高峰譲吉とも交流のあった杉浦が、米国で研究するまでの経緯についても紹介しよう。
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トリチウム濃度をなぜ 1500Bq/L まで下げるのか

国は原子力関連施設から水の形で放出されるトリチウムについて,周辺監視区域の外で 60,000Bq/L 以下であればよいとしている,またWHOの飲料水基準では 10,000Bq/L である,それなのになぜ,福島第一原子力発電所から海へ放出する水でトリチウム濃度を 1,500Bq/L 以下まで小さくする必要があるのか.こうした疑問を解消するために,1,500Bq/L という値がどのようにして導かれるの...
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堀義路の後半生

堀義路(1896 - 1972)は,重水の製造に関連して戦前から戦時中にかけ活発に活動した.ところが戦後になると,重水との関係で彼の名を目にすることはなくなる.堀は戦後,どんな活動をしていたのだろうか. 『北大工学部応用化学科の40年』p.3 堀義路は,東京帝国大学工学部応用化学科を1920年7月に卒業したあと,同大学で工学部の講師,臨時窒素研究所(農商務省)の嘱託などを経て,24年12月に北海道...
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『重水素とトリチウムの社会史』が発売に

『重水素とトリチウムの社会史 歴史を左右してきた水素のなかま』が発売になりました.アマゾンでお買い求めいただけます(Kindle版もあります).同書の「まえがき」と「目次」をこのウエブサイトで公開しています.書籍の内容を補足する記事や索引なども公開しています.
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前田敏子と小早川美津子

第二次大戦後まもない頃,水素や酸素の同位体に着目した地球化学の研究で活躍した,日本人名の二人の女性科学者,シカゴ大学の前田敏子と東京都立大学の小早川美津子について簡単に紹介する.
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レオ・シラードの人がら

1939年に「アインシュタインの手紙」を起草しマンハッタン計画にも参加したことで知られる物理学者のシラード.エピソードに満ちた人物であるが,彼の人がらをよく示すエピソードを書き留めておこう.
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水爆の原理を最初に思いついたのは日本の萩原篤太郎か?

核分裂を利用して水素の熱融合反応を引き起こすというアイデアを最初に考えたのはE.フェルミである.しかし近年の欧米の文献には,それより数ヶ月前に日本の萩原篤太郎が同じアイデアを述べていた,したがって日本の萩原が最初だとの記述が見られる.だがこれは誤解であることがわかっている.
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重水素が 1/4500 の割合で含まれると,どうしてわかったのか

重水素の存在を初めて確認したH.ユーリーは「水素には1/4500の割合で重水素が含まれているだろう」と指摘した論文を読んだのがきっかけで実験に取りかかり,それを検出するのに成功した.しかし未だ重水素が発見されていないときに,「重水素が1/4500の割合で含まれる」とどうしてわかったのだろうか.その疑問に答える.
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千谷利三,堀内壽郎,鈴木桃太郎,中谷宇吉郎

日本で早くに重水素の研究に取り組んだ千谷利三と堀内壽郎、それに鈴木桃太郎は東京帝国大学理学部化学科で、ともに片山正夫教授のもとで学んだ同期生だった。また雪の研究で有名になる中谷宇吉郎が、同学年の物理学科にいた。彼ら4人の交遊をめぐるエピソードを紹介する。