福山甚之助と新聞「家庭」鈴木商店とは 「家庭」紙に和歌を投じた有賀一郎は、1917年に東北帝国大学農科大学を卒業するや、鈴木商店に入社し、小樽支店、函館支店を経て、神戸本社へと異動していく。 「有賀は学界か官界に就職するのだろう」と思っていた大学の同期生たちは、彼が「敢然と実業界へ進んだ」ものだから、びっくりしたという(『荻の葉風』p.8)。 有賀が就職した「鈴木商店」とは、どんな会社だったのだろうか。 『国史大辞典』によると、 日清... 2023.06.01福山甚之助と新聞「家庭」
福山甚之助と新聞「家庭」山田正の渡欧を後援する会 『福山甚之助と新聞「家庭」』の164頁に記したように、福山甚之助は「家庭」52号(1930年7月)に、画家 山田正の渡欧を後援する会について記している。 その記事には、下のような図も添えられている。 出典: 「家庭」52号 上段には山田正の写真と、彼の作品の一つが配置され、下段には「渡欧後援会」賛助員の署名(一部のみ)が配置されている。 なお、「北海道立美術館等所蔵作品データベース」で山田正の絵画... 2023.05.29福山甚之助と新聞「家庭」
福山甚之助と新聞「家庭」福山甚三郎は「体操のおじさん」 新聞「家庭」の第75号(1933年8月15日発行)に、福山甚三郎が札幌ラヂオ体操会会長の肩書きで、「国民体育とラヂオ体操」という文を寄稿している。 札幌大通りのラジオ体操会(出典: 「家庭」第75号) いわゆるラジオ体操は、1928年に「国民保健体操」として作られた。そして同年の11月1日から、ラジオでの放送が始まった。 そのラジオ体操は、当初、各家庭などで行なわれていた。だが、1931年の夏、東... 2023.05.28福山甚之助と新聞「家庭」
福山甚之助と新聞「家庭」小樽新聞社の飛行機事業 1926年、北海タイムス社だけでなく小樽新聞社も、飛行機事業に乗り出そうとした。小樽新聞社による事業展開ぶりを、(ごく初期に限って)同社の新聞記事をもとに追ってみよう。 小樽新聞社の北海1号機(出典: 小樽新聞、1926年7月30日) 事業計画のはじまり 1926年6月、小樽新聞社が「小樽新聞」紙上で、北海道定期航空協会を設立する旨を発表。東亜飛行専門学校(千葉県津田沼長)校長の川辺佐見、伊藤飛行... 2023.05.28福山甚之助と新聞「家庭」
福山甚之助と新聞「家庭」トモエ醤油の広告 新聞「家庭」には毎号、最終頁の最下部二段を使って、トモエ醤油の広告が掲載された。それらのなかから、代表的なものをいくつか示そう。 「家庭」第1号 「家庭」第4号 「家庭」第10号 54号(1930年9月)からは、風景写真を用いたものも登場するようになる。 「家庭」54号 「家庭」57号 「家庭」59号 このほかに、記事の間に埋め草的に挟み込んだ小さな広告もある。 補足一覧へ 2023.05.26福山甚之助と新聞「家庭」
福山甚之助と新聞「家庭」池田林儀と福山甚之助の出会い 『福山甚之助と新聞「家庭」』の第7章第1節で、池田林儀の優生運動を紹介し、福山甚之助もその運動に興味を抱いて新聞「家庭」にも関連する記事をいくつか掲載していることを示した。 池田林儀の『優生運動』(1929年)の扉(国会図書館デジタルコレクションより) では、甚之助はどのようにして池田林儀のことを知るようになったのだろうか。 この二人の「出会い」について、以下の記事でいくつかの可能性を推測してみた... 2023.05.26福山甚之助と新聞「家庭」
福山甚之助と新聞「家庭」パテーベビーとは 『福山甚之助と新聞「家庭」』の第5章第5節の「映画」の項(150頁)で、「パテーベビー」に言及した。 出典: 大蔵省印刷局 『官報』1927年12月14日、日本マイクロ写真、1927年。国立国会図書館デジタルコレクション この映画システムについては、技術的な概略や日本での普及状況などを中心に、以下の記事に詳しく書いた。 パテーベビーをめぐる日本国内の状況(1920年代) (PDFをダウンロードもで... 2023.05.26福山甚之助と新聞「家庭」
福山甚之助と新聞「家庭」サンガー夫人の来日 『福山甚之助と新聞「家庭」』の第7章第1節(168頁)で「サンガー夫人の来日」に言及した。この件については、以下の記事で詳しく書いた。 サンガー夫人の来日(1)サンガー夫人の来日(2)サンガー夫人の来日(3) 『山峨女史産児制限法批判』という、生物学者の山本宣治(1889-1929)が書いた著書についての記事も参考になるだろう。 『山峨女史産児制限法批判』を読む 補足一覧へ 2023.05.26福山甚之助と新聞「家庭」
福山甚之助と新聞「家庭」雑誌『内観』と標題部が瓜二つ 新聞「家庭」の標題部は、茅原華山が発行していた月刊雑誌『内観』の標題部と瓜二つである。文字や模様の配列が似ているし、その模様自体も瓜二つである。 「家庭」創刊号(1926年3月11日発行)の標題部 雑誌『内観』第61号(1925年4月1日発行)の標題部 標題文字の左右にある模様を見比べてみると、「家庭」では、「内観」の模様の巻いている箇所に、福山商店の商標である3種の巴(一つ巴、二つ巴、三つ巴)が... 2023.05.25福山甚之助と新聞「家庭」
福山甚之助と新聞「家庭」福山甚三郎の大阪での同窓生と北海道 福山甚作(甚之助の長兄で、のち父の名を継いで甚三郎となる)は大阪高等工業学校の醸造科を1905年7月に卒業した。 その醸造科を同じころ卒業した者のなかには、甚作のほかにも北海道で活躍した人物がいる。 大阪高等工業学校の醸造科工場出典: 大阪高等工業学校(編)『大阪高等工業学校一覧』自大正5年至6年、大阪高等工業学校国立国会図書館デジタルコレクション 一人は、大阪高等工業学校醸造科で福山甚作と同期だ... 2023.05.25福山甚之助と新聞「家庭」