「夏の学校」とアジア財団

『「軍事研究」の戦後史』の第5章で、1961~62年に「東洋文庫」に対するアジア財団からの資金援助が、軍事研究との絡みで問題視されたことを紹介した。

このアジア財団が、自然科学の領域で巻き起こした波乱についても記しておこう。東洋文庫の件があってから3年後、物理学会などの米軍資金問題が持ち上がる2年前、1965年のことである。

この年、素粒子物理学の分野の研究者たちが中心になって、神奈川県大磯で国際的な「夏の学校」Tokyo Summer Institute of Theoretical Physics を開催するという計画がもちあがった。アジア財団から資金援助を得られる見通しがついたので、実現できることになったのだという。

この計画に対し「物性若手グループ」に属する物理学者たちが疑問を呈した。アジア財団は「本来アメリカの極東政策推進のための意図的団体」であり、中国研究への支援をめぐって研究者の間に強い反対運動が起きたこともある。「中国研究と物理では、いささかレベルが違うが、何らかの目的のもとに資金は出るのだということを、受ける側では銘記して」、夏の学校の性格や運営が財団の意図に左右されないような運営体制が組まれていなければならない。にもかかわらず一部の人たちの独断専行で計画が進められている。こう指摘したのである(注1)。

「夏の学校」を推進する立場にいた久保亮五(東京大学教授)は、批判に答えて言った。アジア財団は、公式文書に非政治的、非宗教的団体であると明記された組織であり、これまでも日本と欧米の間の科学交流のために資金援助を行なってきた。「私どもはその裏に何があるか、とはさぐりはしなかったが、今後もさぐろうとは思わない」と(注2)。

こうして「夏の学校」は予定通りに開催された。たしかに、さまざまな支援の「裏に何があるか」まで考えること、裏の意図を読み取ることは難しい。とはいえ、アジア財団が中国研究者の間に強い危惧を生みだしていたという事実があった。それにもかかわらず、こんなにあっさりと割り切ってよかったのだろうか(注3)。


注1) 物性若手グループ事務局「「国際夏の学校」開催に対する危惧」『物性研究』3(6)、1965年、pp.456-459.
注2) 久保亮五「Tokyo Summer Institute について 物性若手グループへ」『素粒子論研究』31(3)、1965年、pp.431-435. 引用はp.432から。
注3) なお、「夏の学校」をめぐるこの意見対立には、「素粒子内における、研究の方法上傾向の異る二派の根強い対立が、事実からまって」いたとも言われる(物性若手グループ事務局、前掲記事)。