『北日本評論』は1935年7月に、寺島裕を編輯兼発行人として創刊された。発行元は北日本評論社(札幌市南2条西6丁目、寺島が社長)である。
「発刊の辞」で寺島は、概略、次のように述べている。
満洲や朝鮮の開発に世人の注目が集まっているが、北海道ならびに樺太という北方の開発も軽視してはならない。「国防上の見地に於て満洲が生命であるならば、同じ観点の下に吾が北日本も決して彼に勝るとも劣らぬ生命線である」。その北日本の進歩発展を期するのにもっとも必要なのは、その地についての「全面的認識」である。そこで、「政治、経済、軍事、外交、文芸その他一般に及ぶ総合的な」この雑誌を発行することで、北海道・樺太に在住する人々に「積極的勇猛心奮起」を促し、あわせて「明朗性培養」に尽くそうと思う。
創刊号には、「樺太、北海道―東京間特別急行列車運転を要望す」「樺太発展沿革物語」など、寺島による論考が並んでいる。
寺島は、「過去10年間のサラリーマン生活を生産し、年収1200円余りの椅子」を捨て、何の経験もない「浪荒きジャーナリズムの大海に泳ぎだした」のであった。
雑誌代40銭は「前払い制」で、この創刊号を出す前に「創刊予告号」を自腹で出すことで支援を募ったようである。(創刊予告号は未見である)