『重水素とトリチウムの社会史』 まえがき

2011年3月に大事故を起こした福島第一原子力発電所では,原子炉周辺に地下水や雨水が流れ込むため放射性物質を含む「汚染水」が今もなお毎日大量に作り出されている.それらは多核種除去設備ALPSで処理されるが,「水素のなかま」(水素の同位体)で放射能をもつトリチウムだけは取り除くことが困難で,「トリチウム汚染水」としてタンクに溜められている.増え続けるそのトリチウム汚染水をどう処理するか,海に放出するとなれば「風評被害」が避けられない,などと大きな問題になっている.

水からトリチウムを取り除く(濃度を下げる)ことが,できないわけではない.現にカナダや韓国ではトリチウム除去施設が原子力発電所に併設されて稼働している.また,欧州に建設中の国際熱核融合実験炉ITER(イーター)にはトリチウムを水から回収する設備が設けられる予定で,その設備には日本の原子炉「ふげん」で実績を積んだ技術が活かされるはずだ.

これらはみな,1930年代から連綿と続く,水素の同位体どうしを分離する企て――いまや90年の歴史をもつ――の蓄積があってこそのものである.そしてその野心的な一連の挑戦は,ときの国際情勢に大きな影響を与えたり,逆に社会情勢の波に揉まれもしながら,まさに世界の歴史と絡みあいながら進んできた.本書ではそのダイナミックな動きを見ていく.

塩分のある水から水分を蒸発させていけば「濃い塩水」ができる.他方,蒸発した水分(水蒸気)のほうでは塩分が少なくなっており,それを回収して液体の水に戻せば,もとの水より塩分濃度の低い水が得られる.つまり「濃縮する」ことと「濃度を下げる」ことは,コインの裏表のような関係にある.

したがってトリチウム汚染水からトリチウムを取り除くには,その汚染水のトリチウム濃度を高める(濃縮する)ことができればよい.そしてトリチウムの濃縮には,重水素を濃縮する方法が応用できるはずである.なぜならトリチウム(三重水素)はふつうの水素の3倍の質量をもつ「水素のなかま」であるが,ふつうの水素の2倍の質量をもつ重水素もまた「水素のなかま」にほかならないからだ.

歴史上,トリチウムが大きな話題になるのは第二次世界大戦が終わってからのことで,核融合爆弾(水爆)の原料としてクローズアップされた.トリチウムの放射能が環境や生物に与える影響が危惧されるようになるのはもっと遅く,1970年代に入ってからのことである.

しかし重水素のほうは1930年代初めに発見され,その直後から,普通の水からどうやって重水素を取り出すか(いかにして重水素を濃縮するか)が科学者の大きな関心事になった.重水素を多く含む水(重水)には延命効果があるのではと考えられ,少なからぬ研究者が探求を始めた(今日もなお,がん細胞の増殖を抑制する効果などに着目した研究が続けられている).庶民も大いに興味を抱いたが,如何せん,値段がとてつもなく高かった.

第二次世界大戦が始まるころになると,重水が核分裂連鎖反応の実現に有効だとわかり,ドイツや,イギリス,アメリカが重水製造法の開発,重水の大量生産にしのぎを削った.同じころ日本でも,科学研究のために重水の製造が試みられた.そして戦前から戦時中にかけそれぞれの国が獲得した重水製造に関する経験の蓄積が,戦後の各国の原子力政策に,陰に陽に影響を与えていくことになる.

たとえばカナダは第二次世界大戦中,アメリカが必要とする重水の製造に協力した.戦後はその経験を活かして独自の原子力政策を展開する.重水と自国に豊富な天然ウランとを活用できるタイプの原子炉を開発して世界に売り込んだのだ.韓国は,そのカナダ型の原子炉を導入した国の一つである.

ただ,カナダ型の原子炉では重水の中にトリチウムが少なからず(ふつうの水を利用する原子炉よりも多く)発生するから,トリチウムの濃度を下げる必要が出てきた.カナダや韓国でトリチウム除去施設が原子力発電所に併設されているのは,こうした理由からである.トリチウムを減らした重水を再利用に廻し,回収したトリチウムのほうは蓄蔵しておいて核融合の研究などに利用することもできる.

日本も戦前に重水製造の経験をもった.その経験が「自信」となって,戦後に原子力開発に取り組もうとする意欲,それも自主開発の路線を進もうとする意欲を生み出した.

日本が1970年代に独自に建設した原子炉「ふげん」には,濃度の下がった重水を再利用できるよう濃縮し直す装置が併設された.重水素もトリチウムもともに「水素のなかま」であるから,そこでの技術はトリチウムの濃縮(トリチウムの除去)にも利用できる.だからこそITERでのトリチウム濃縮に,「ふげん」での技術が活かされようとしているわけである.

このようにトリチウムと重水に関する科学研究や技術開発は密接に関連している.それゆえ両者は「二本立て」で見ていく必要がある.本書で重水素とトリチウムを並存させて見ていくのは,そうした理由からである.

本書の1章~2章では第二次世界大戦が終わるまでの,主として重水(素)をめぐる各国のせめぎ合いを見ていく.つづく3章~5章では重水素とトリチウムの両方について,世界の歴史とどう絡みあってきたのかを見ていく(上で述べたのは,そうした絡み合いのごく一部でしかない).トリチウムに特に関心があるという方は,3章から読んでもよいだろう.最終章では,重水素とトリチウムそれぞれをめぐる最近の話題を取り上げる.カナダや韓国でトリチウムを除去する設備が稼働しているのに,福島第一原子力発電所のトリチウム汚染水に関しては「トリチウムの除去が難しい」とされるのはなぜかについても,この章で考えよう.

なお本書の索引,本文を補足する解説やエピソードなどを,ウエブサイト https://hos.dojin.com/ で公開している.ぜひ利用して頂きたい.