『重水素とトリチウムの社会史』の76頁に記したように,核分裂連鎖反応で生まれる大きなエネルギーを利用して水素の熱融合反応を引き起こすというアイデアを最初に考えたのはE.フェルミであり,1941年9月のことだった.しかし近年の欧米の文献には,それより数ヶ月前の1941年5月に日本の萩原篤太郎(はぎわら とくたろう)が講義の中で同じアイデアについて述べていた,したがって日本の萩原が最初だ,という記述が見られる.
たとえば,原子力開発の歴史に関する資料をまとめたウエブサイト atomicarchive.com のこのページや,Goncharov(1996, 45)などである.最近では日本語のWikipediaまで,「真偽のほどは分からないが」としながらも,こうした説に言及している。
しかし,萩原についてのこうした記述は誤りである.
フェルミよりも早く萩原が同じアイデアに思い至っていたと最初に指摘したのは,『原子爆弾の誕生』や『原爆から水爆へ』の著者R.ローズである(ローズ 1995, 656-7).彼が根拠にしたのは,ある米国人が所有していた陸軍の記録文書「ウラン(U)ニ就テ」(とその翻訳)であった.
しかし福井(2001b)が,この文書には問題があることを明らかにした.「ウラン(U)ニ就テ」中の萩原による講義部分は,彼が第二海軍火薬廠で行なった講義の記録(萩原自身が執筆)から抜粋・要約して書き写したものであり,重要な部分が省かれているほか,ある箇所でウラン235について「超爆裂性」が「起爆裂性」と,誤って書き写されていたのである.そして福井は,この「起」という文字が,U235の爆発的核分裂で核融合を起動しうると萩原が考えていたとの解釈を生み出すことになったのであろう,だが萩原は講義の中で核融合については全く言及していないなど,ローズの解釈には明らかに無理があると指摘した.
福井のこの指摘は,彼の調査に協力した今中哲二やJ.C.Warfとの連名で英文でも発表されている(福井 2001b; Fukui 2000).ローズ自身も誤りを認め,自著が再版される機会に訂正すると述べている(福井 2001a; 福井 2001b, 90).
誤解がこれ以上に広まらないことを願い,ここに指摘しておきたい.
参考文献
福井崇時 2001a:「萩原篤太郎が水爆原理発案第一号とされたことの検証及び昭和十六年頃の,京大荒勝研を例とした日本の原子核研究状況」https://watanaby.files.wordpress.com/2013/01/fukui-5.pdf.(福井 2001b)の予稿かと思われる.R.Rhodesからの手紙も資料として収録されている.
福井崇時 2001b:「萩原篤太郎が水爆原理発案第一号とされたことの検証及び昭和十六年頃の,京大荒勝研を例とした日本の原子核研究状況」『年報 科学・技術・社会』第10巻,79-117.
ローズ, R. 1995:『原子爆弾の誕生』上下,紀伊國屋書店(原著は1987年発行).
atomicarchive.com -: “Race for the Hydrogen Bomb; Part 1. Genesis,” https://www.atomicarchive.com/history/hydrogen-bomb/page-1.html.
Fukui, S., T.Imanaka, and J.C. Warf 2000: “Who came up with it first?,” The Bulletin of the Atomic Scientists, 56(4), 5-6.
Goncharov, G.A. 1996: “Thermonuclear Milestones: (1) The American Effort,” Physics Today, 49(11), 45-8.