田中舘愛橘が世に出した最初の書は『四桁の対数表:付けたり いろいろの定数および公式』である。この著作は現在、国立国会図書館のウエブサイトで公開されており、世界中どこからでも無料で閲覧でき、プリントアウトもできる。
同書の奥付(下図)に「明治19年1月25日版権免許」とあるから、「30年間専売の権」を得ていたことがわかる。明治9年に改正された出版条例により、内務省に願い出て「版権免許証」を公布してもらえばこの権利が保障される、という制度になっていた。
出版条例は明治20年にも改正され、このときには印刷の年月日や発行者・印刷者の住所氏名などを明記することが義務づけられた。また著書や図画を発行できるのは、それらの販売を業とする者に限るとされた。ただし例外として、著作者またはその相続者が発行者を兼ねることも認めていた。田中舘はこの例外規定に基づいて発行者となり、実際の販売は敬業社(注)に任せたのであろう。
愛橘の『四桁の対数表』には、y=logxの式において、xに0から0.1, 0.2 と0.1刻みで数値を代入していったときのyの値が、小数点以下4桁まで、表形式で示されている。販売を担当した敬業社の明治27年の目録によると、長らく品切れだったので「大いに訂正増補し精密懇切に閲正」したうえで再版されたものだという。定価は25銭である。
『四桁の対数表』は、書名(下図)はもちろん本文も(とはいっても、ほとんどが数値を並べた表であり、文章はごくわずかなのだが)すべてローマ字で書かれている。興味深いことに、自分の名前を TANAKADATE AIKITU と書く一方で、公式をKoshikiと書くなど後のヘボン式の表記法が混在している。またアルコールをArkohor、ガラスを Garas(Garasuでなく)と表記するなど外国語表記の痕跡が残ってもいる。
明治19年ともなれば、対数表自体はすでに何種類かの書が海外からもたらされ、その邦訳も出ていた。愛橘の対数表はそれらを転載したものであり、表そのものにオリジナリティはない。彼の独自性は、実用的な付録を付け加えたという点に求めるべきであろう。「付けたり」として、ヤードポンド法・尺貫法・メートル法の間での換算係数や、各種物質の比重や熱膨張率、あるいは光速や音速などの定数、さらには三角関数や微積分の簡単な公式などが所狭しと収められている。
本書の初版が世に出た明治19年は、帝国大学令が公布されて東京大学が帝国大学となった年であり、愛橘は助教授として地球物理学の研究(特に地磁気の測定)に勤しんでいた。その研究には数表や定数、公式などが必需であったから、それらを一書にまとめておけば自らの研究に好都合であったろう。そしてその書は「物理化学その他応用学術」に従事する者あるいは「海陸軍将校諸彦」(敬業社の「目録」にある宣伝文より)にとっても有用である。そこで『四桁の対数表』を出版しよう、と愛橘は考えたのであろう。
注) 敬業社は当時、中学校や師範学校、各種専門学校などの教科書や参考書(分野は、自然科学だけでなく歴史や修身倫理、商業簿記、政治法律経済、文学、辞書、芸術などにも及ぶ)を出版するとともに、学校教育用に動植物や鉱物の標本なども取り扱う、大手の出版社であった。
上の文章は、『田中舘愛橘顕彰会会報 愛橘通信』第2号(2018年1月1日発行)に寄せた文章である(ただし、ごく一部、改変)。