米軍のMATSからの支援

軍(および軍関連機関)からロジスティック面で支援を受ける研究のうち、自衛隊から支援を受けた研究と並ぶもう一つの例は、米軍のMATSからの支援を受けた研究である。


日本物理学会は、会員の求めに応じて臨時に開催された1967年9月の総会で三つの決議を採択した。その三つ目、いわゆる「決議三」は、こう宣言する。

日本物理学会は今後内外を問わず、一切の軍隊からの援助、その他一切の協力関係をもたない。

しかしこの「決議三」をめぐっては、その曖昧さが問題になった。「協力関係をもたない」のは学会だけなのか、それとも会員個人ももたないのか、また「援助」や「協力関係」にはどんなものが含まれるのか、などである(注1)。

この臨時総会に先だち7月に開催された第222回委員会議(日本物理学会の執行部の会議)でも、この点をめぐって次のような発言があった(注2)。

決議3は会員個人にも及ぶものと解釈されるおそれが十分にある。総会請求者の中で渡米、帰国に際しMATSを利用した者が無いといえるだろうか。

[決議三の解釈は]具体的な問題にならないと判断ができない。MATS利用、自衛隊との関係などいろいろあると思う。

将来だんだん解釈が変わって来る可能性がある。もっとシャープな形で問題が提起されることもあり得る。たとえばMATS利用の可否、自衛隊との関係の問題、…。

ここに登場するMATSとは、Military Air Transport Service(軍輸送部隊)のことである。1948年6月1日に、それまでのATC(Air Transport Command)と NATS(Naval Air Transport Service)とが統合されて発足した、米空軍直属部隊である。全世界にわたる航空網をもち、国防総省のために物資や郵便物、人員の輸送、米軍の医療救護などを担った。さらに、航空気象観測や、救難支援、旅客輸送、航空写真撮影、地図測量などの支援業務も行なった。

1953年の「フライト・スケジュール」を見ると、この時点で、37カ国を結んで18万4000キロメートルの空路をもち、定期便の運行と戦略的空輸とを行なっていたことがわかる(注3)。

日米間の定期便には、東京(注4) ― サンド島(ミッドウェイ海軍航空基地)/ウェーク島(ウェーク基地)/グアム島(アガナ海軍航空基地) ― ホノルル(ヒッカム空軍基地)― フェアフィールド(カリフォルニア州トラヴィス空軍基地)という路線があり、アメリカ西海岸のフェアフィールドから先は、タコマ(ワシントン州マッコード空軍基地)やアンカレッジ(アラスカ州エルメンドルフ空軍基地)など米国各地の空軍基地へ乗り継ぐことができた。このほかに、日本からアリューシャン列島のシェミア島などを経由してアンカレッジに行く路線もあった(注5)。

このMATSは、ソ連がベルリンを封鎖したときにはベルリンへの物資空輸作戦を行ない、朝鮮戦争の時は「国連軍」のためにアメリカから日本までの物資輸送を担い、ベトナム戦争でもタイや日本から南ベトナムなどへの物資輸送に活躍した。いずれも戦闘にこそ参加していないが、「後方支援」を行なっていた。それだけに日本の科学者には、このMATSから科学研究のためのロジスティック支援を受けることに抵抗を感じる者が少なくなかった。

その一方で、単にロジスティック面で支援を受けるだけであり、研究内容に関して制約を受けるのでないから、「その限りでは許容されるのでないか」と考える研究者がいたであろうことも予想がつく。そして実際に、MATSを利用した科学者が少なからず存在したのである(注6)。

推測するに、地球物理学者などフィールド調査に出かけることの多い研究者にMATS利用者が多かったのではなかろうか。現実問題として、たとえばアラスカやグリーンランドなど北極域を研究フィールドとする者は、米軍の空路網を利用することなくしては現地調査を実施できなかっただろうからだ。先に引用した物理学会委員会議での発言には、そうした研究者の、「決議三はMATSの利用までも否とするのか」という当惑が滲み出ているように思われる。

軍事研究の是非をめぐる戦後日本の論争の中で、MATSの利用を正面から否定する議論は登場していない。その背景にはおそらく、こうした止むに止まれぬ事情もあったように思われる。南極観測隊の輸送業務を自衛隊に委ねることについて、素粒子物理学者や原子核物理学者たちが否定的であったのに対し、日本学術会議の南極特別委員会が肯定的だったことにも、こうした事情が反映しているのであろう。


注1) 杉山滋郎『「軍事研究」の戦後史』ミネルヴァ書房、2017年、pp.81-83.
注2) 「半導体国際会議に対する米国陸軍極東研究開発局からの補助金に関する日本物理学会第222回委員会議議事録」『日本物理学会誌』第22巻第9号、1967年、pp.632-639. 以下の引用はp.638より。発言者名は不明である。
注3) http://www.timetableimages.com/ttimages/mats.htm
注4) 東京の空港は、当初は、米軍が接収・運用する羽田空港であったが、同空港が全面返還された1958年7月以降は、立川基地に移った。
注5) ただし、1953年のアラスカはまだ米国内の自治領域(アラスカ準州)であり、州に昇格するのは1959年である。
注6) 杉山滋郎、樋口敬二(名古屋大学名誉教授、雪氷物理学)へのインタビュー、2014年12月8日、名古屋市内にて。