新聞「家庭」に撫子の筆名で随想を数多く寄せた成田深雪。彼女の父 渡辺兵吉は東京で「六合館」という出版社(書籍商)を営んでいた。
「六合館」は明治の初め、「欧米各国の図書を翻刻発行する」ことを目的に、松井忠兵衛、清水卯三郎、塩島一介、梅原亀七、伊藤徳太郎らが設立した出版社(書籍商)である。やがて、弦巻七十郎が、ついで渡辺兵吉が、その経営を受け継いだ。
国立国会図書館のデータベースで検索してみると、六合館の出版した書籍が数多くヒットする。多くは日本の古典などを学校教材用に編纂したと思われるものだが、外国語の学習教材も少しばかり認められる。
ドイツ語に関していえば、たとえば Eduard Bock による、
Schreib- und Lese-Fibel: neue, erweiterte bearbeitung der deutschen Fibel
という書が、弦巻七十郎により、つづいて渡辺兵吉により、出版されている。
これらは、ボックの書をドイツ語のまま翻刻したものであったが、1900年にはそれに日本語訳を付した『ボック氏第一読本独案内』も六合館から出版されている。ドイツ語の独習書である。
訳文をつけたのは渡辺自身であるが、訳文の付け方が面白い。
下の図に見られるように、ドイツ語の文
Ich lag und schlief, da träumte mir ein wunderschöner Traum.
の、各単語の上にカタカナで「読み」を、下に「訳語」を付し、さらにその訳語の右肩に算用数字を付して「訳す順番」を指示している。
なお、この『ボック氏第一読本独案内』が出た1900年には、渡辺は六合館の経営からすでに手を引いていた。渡辺が1899年に廃業したあと、六合館の商号は、文魁堂を経営する林 平次郎に受け継がれた。
渡辺兵吉がその後どのような仕事をしたのか不明であるが、1902年から05年にかけ、ネパールからの留学生を自宅に住まわせていた。娘の深雪が10代前半のころである。このときの「国際交流」が彼女に大きな印象を残したらしい。
その留学生たちがネパールに帰国してから30年ほど後の1934年1月15日、ネパールでマグニチュード8.1の大地震(ビハール・ネパール地震)が起きる。
これを機に深雪は、さまざまに手を尽くして留学生たちの安否を確かめようとしている。動物学者・登山家としてネパールをたびたび訪れた今西錦司(京都大学教授)に頼んで彼らの消息を調べてもらうこともした。(その結果、このときには既に他界されていたことがわかった。)
参考文献
東京書籍商組合(編)『東京書籍商組合史及組合員概歴』東京書籍商組合、1912年
『今西錦司全集 第3巻 ヒマラヤを語る・カラコラム』講談社、1993年