「家庭」紙に和歌を投じた有賀一郎は、1917年に東北帝国大学農科大学を卒業するや、鈴木商店に入社し、小樽支店、函館支店を経て、神戸本社へと異動していく。
「有賀は学界か官界に就職するのだろう」と思っていた大学の同期生たちは、彼が「敢然と実業界へ進んだ」ものだから、びっくりしたという(『荻の葉風』p.8)。
有賀が就職した「鈴木商店」とは、どんな会社だったのだろうか。
『国史大辞典』によると、
日清戦争後から第一次世界大戦前後へかけ貿易および関連諸分野における積極的活動によって急成長を遂げながら、昭和初頭の金融恐慌時に倒産した巨大商社。
1917年には年商15億4000万円に達し、三井物産をも凌いだという会社である。
小樽新聞に掲載された、鈴木商店小樽支店の広告からも、同商店の幅広い活動ぶりをうかがい知ることができる。
なお同商店の歴史については、鈴木商店記念館(ウエブサイト)がとても参考になる。北海道での事業展開については、この記念館の「地域特集」のコーナーで見ることができる。