清水知新とは清水真一なり

清水真一(1889-1986)は,静岡県島田市で薬局を営みながら自宅屋上に設けた私設の天文台で天体観測を行ない,1930~40年代に重要な業績をあげたアマチュア天文家である.

最もよく知られている業績は,1937年1月末に,1909年に発見されて以降,行方不明となっていたダニエル彗星を,広瀬秀雄(当時,東京天文台の技手)の計算に基づいて捜索し,首尾よく検出に成功したことである.この再発見は世界的に注目され,日本天文学会も1939年に清水と広瀬に対し「天体発見服部賞」を授与した(註1).

清水はその後,1976年に日本天文学会から神田茂記念賞も受賞している.また1940年代に東亜天文学会の副会長となり,退任後は名誉会員となる.そして1982年度に第5回東亜天文学会賞を受賞した(註2).

一方,戦前の小型映画(とくにパテーベビー)の歴史について叙述した文献には,清水知新という人物がしばしば登場する.

たとえば西村(1941, 164)は,パテーベビーが日本に輸入されてからしばらくは,撮影したフィルムの現像焼付がなかなかうまくいかなかったと指摘し,次のように述べている.

鶴淵幻燈活動教育社,金城商会等が主としてこれ[引用者註: 現像焼付が上手くいかないという問題の解決]に当り,清水知新が優れた反転現像仕上げに漸く成功した.これでカメラを逸早く手に入れた人々も安心し,カメラとフィルムを続けて輸入することもできるようになった.

また最近でも後藤(2014)が,大伴喜佑(パテーベビーを日本に最初に輸入した伴野商店の,店員)の発言を引きつつ,次のように述べている.

静岡県島田町の清水知新が反転現像をよくやるという事を聞きつけ,直に清水を訪れてその現像の出来を見たところ,「とても比較にならぬ程立派なもの」であることを発見し,清水に反転現像の引き受けと現像法の公開を願い出た.このことをきっかけに,伴野商店現像部に「チシン写真部」が置かれ,清水は静岡県島田町で反転現像サービスを行うようになる.

ここに登場する清水知新という人物は,じつは清水真一である.ところが映画の歴史を語る人々の間では,上の引用にみられるように,あたかも清水知新なる人物がいたかのように思われている節がある.

清水真一が営んでいた薬局の名は「知新薬局」であった(「知新」は「温故知新」という言葉から採ったのだという).自宅に設けた私設の天文台も「知新観象台」と呼んでいた.

そして写真の現像を担当した「東京伴野商店現像部」も「チシン写真部」と広告され,おまけにチシン写真部の責任者は「清水知新」だとされた(清水本人も自らを清水知新と称したこともあったようである(註3)).

「チシン写真部」の広告.出典: 後藤(2014, 120).もとは雑誌『日本パテーシネ』1931年3月号,p.27.

こうしたことが積み重なって,清水知新なる人物が存在したかのような感覚を映像関係者の間に生み出し,清水知新とは実は清水真一であることに気づくのが妨げられたのではなかろうか.


註1: 「天体発見服部賞」とは,日本天文学会が1937年に制定した天体発見賞のうち,服部時計店(のちセイコー社)の第2代社長 服部玄三からの寄附金を用いたものをいう.
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註2: 1920年,天文学研究者とアマチュア天文家とが協力しあう組織として,京都帝国大学の山本一清らにより天文同好会(のち東亜天文学会)が設立された.清水は1924年に同会に入会した.神田茂記念賞は日本天文学会が,同会の特別会員だった神田茂の遺族からの寄附金をもとに,功績顕著な9名のアマチュア天文家に授与したものである.
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註3: たとえば彼の映画作品「秋の旅/前巻よりつづく」(1930年)の最後のシーン.
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参考文献

  • 朝日新聞 1939「アマチュアに天文殊勲甲/ダニエル彗星の清水氏」朝日新聞夕刊,1939年3月22日,2面
  • 木辺成麿 1986:「名誉会員故清水真一氏を讃じ悼む」『天界』67(8)(735),245-6
  • 後藤一樹 2014:「<趣味>と<闘争>: 1920-30年代のアマチュア映画の公共性」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要: 社会学心理学教育学: 人間と社会の探究』No.78,109-137.
  • 佐伯 1986:「清水新一氏逝去さる」『天界』67(7)(734),p.218.
  • 柴田宸一 1986:「清水真一先生の御逝去を悼む」『天界』67(8)(735),246-7.
  • 西村正美 1941:『小型映画: 歴史と技術』四海書房.
  • 広瀬秀雄 1976:「日本天文学会神田茂記念賞選考経過」『天文月報』69(8),1976年8月号,244
  • 山岡均 2002:「新天体の発見と天体発見賞・発見功労賞」『天文月報』95(5),220-222.