『山峨女史産児制限法批判』を読む

山峨サンガー女史産児制限法批判』を、国会図書館の「個人向けデジタル化資料送信サービス」で読んでみる。

山本宣治著『山峨女史家族制限法批判』
国立国会図書館デジタルコレクションより

表紙の右下に赤字で「以印刷代謄写」すなわち「印刷を以て謄写に代える」と記されている。

当時、「文書図画を出版するとき」は発行日の3日前までに製本2部を添え内務省に届け出る必要があった(1893年の出版法第3条)。そして場合によっては発行が禁止される可能性もあった。「安寧秩序を妨害し又は風俗を壊乱するものと認むる文書図画を出版したるときは内務大臣において其の発売頒布を禁し其の刻版及印本を差押るることを得」(同法第19条)とされていたからである。

では「出版」とは何か、出版法は第1条でこう定義していた。「凡ソ機械舎密其ノ他何等ノ方法ヲ以テスルヲ問ハズ文書図書ヲ印刷シテ之ヲ発売シ又ハ頒布スルヲ出版ト云ヒ…」(注1)。

この定義からすれば、発売や頒布をしない(たとえば個人利用のために書き写す、今日風に言えばコピーする)のであれば、出版にあたらない。

そこで「個人的に、もしくはごく内輪で利用するために、写しを作る(=謄写、注2)代わりに印刷しただけであり、発売したり頒布するものではない」と明示することで、出版法にいう出版物に当たらない、と表明することが行なわれていた(行政機関や研究機関が発行する報告書などにも見られ、決して「灰色文献」(左翼的出版物)に限定されたことでない)。

表紙に赤字で記載されている「以印刷代謄写」はこの意思表示であり、さらに「純学術的研究及批判たる本小冊子を専門学者医師薬剤師以外に頒布する事を許さず」「極秘」と念押ししている。

この書の著者 山本宣治(1889-1929)は生物学者で、この書を出したときは京都帝国大学理学部動物学教室に所属し、大津市にある臨湖実験所で研究していた。そしてサンガーが京都府医師会で講演した後などに、計2時間ほど彼女と会談する機会をもった。その機会に彼女から得た知見もふまえて、本書が著わされた。

『山峨女史産児制限法批判』は大きく分けて2つの部から成っている。

第1部では、サンガーが自説を普及するために著わした小冊子Family Limitation(1920年に第10版、四六版22頁)を「家族制限法」と題して日本語に訳出し、それに山本が注を付して批判を加えている。

そこでの山本の批判は、「女史の所説には全体として米国式の軽便な楽観が充満して」いる、との評価に貫かれている。

たとえばサンガーの推奨する「膣内挿入座薬」に関し山本が、京都での講演会の後に彼女と会談し「斯様な化学的殺精法に余りに多くの信頼を措き過ぎる事を注意したが、勇敢な彼女の楽観は訳者の忠言によって毫も動揺しなかった」(同書40頁)といった具合である。

山本は医師でも医学研究者でもなく「率直勇敢な青年科学者」として、サンガーを批判していく。

ただし山本は「サンガーの提唱する産児制限法」を批判するものの、「産児制限」そのものに反対するわけではない。「概括批判」と題された本書の第2部を読むと、そのことが明らかになる。

第2部で山本は、次のような点を指摘する(主要なもののみ)。

  • 既存の方法で避妊ひいては産児制限ができるというサンガーの考えは「米国式の軽便な楽観」で早計に過ぎ、さらに研究が必要である。
  • 狭義の産児制限すなわち妊娠予防・調節は必要不可欠である(人工的な堕胎・早産は好ましくない)。そして吉岡弥生が主張するように「多くを生み之を苛酷極まれる境遇に淘汰させて適者を求めんとする」ことは、せっかくの科学の力を無視するものである。
  • 避妊は、優生学上の絶対的不妊・永久的生殖能力剥奪を目的とする去勢・卵巣摘出・輸精管または輸卵管切断とは異なり、妊娠期の自由選択を可能にするものであり、「天理に悖るもの」「自然冒瀆」といった批判はあたらない(注3)。
  • 性的隠蔽主義や事なかれ主義から避妊法を秘匿するのでなく、発表や議論を自由にすることで庶民の知識欲に応えることが結局は、性病や不妊症の蔓延を防いで当局の目指す「人口増殖」の実現に繋がる。

なお本書に奥付はなく、発行年月も不明である。しかし巻末97頁以降に「再版(一九二三年二月)増補」が附されていることから、おそらくは初版が1922年、再版が1923年2月以降に発行されたものと思われる。


注1: ここに出てくる「舎密」とは「化学」のことである。
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注2: 今日のわれわれは「謄写」という用語から「謄写(版)印刷」を連想しがちであるが、「謄写」のもともとの意味は「写しを作る」という意味である(たとえば戸籍謄本は、戸籍に記載されていること全部を写しとったもの、を意味する)。
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注3: 山本は「胎児は寄生虫」とも言い得るものであり、母胎が妊娠に耐えることができないときに侵入した精子は内臓寄生虫の卵や幼虫と同じで、体内に定着成長すれば母胎に危害を与えるにちがいないのだから、侵入を未然に遮断するのが最上の策だ、と言う(63~68頁)。
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