レオ・シラードの人がら

物理学者,生物学者のレオ・シラードについては,エピソードが少なくない.彼の人がらを示す,こんなエピソードも.

1939年に「アインシュタインの手紙」を起草しマンハッタン計画にも参加したシラードであるが,戦後はパグウオッシュ会議のメンバーとしても活動した.

パグウォッシュ会議は,各国の科学者が軍縮・平和問題を討議する国際会議として1957年に誕生し,1995年にノーベル平和賞を受賞した.

そのパグウォッシュ会議で,大気中での核実験を止めさせることが目標となったときのことである.シラードは,「どんどん実験させて,核分裂物質の貯蔵をなくしてしまったほうがよい」という趣旨のことを言って,日本から参加していた朝永振一郎を「苦しめた」という.日本の物理学者,伏見康治が『シラードの証言』の「あとがき」に記しているエピソードだ.

伏見は,シラードが「自分に似ていることを感じる」という.そしてシラードのこうした発言の真意は,「普通の考え方と全く違った考えを打ち出すことによって,何か核廃絶の新しいアイデアが生れるかも知れないというところにあったのであろう」と言う.

E.フェルミも,シラードについて似たようなエピソードを語っている.1954年のアメリカ物理学会での講演でのことである.会場から笑いが起きているから,多くの物理学者も共感する発言だったのだろう.

彼は非常に風変わりな人間で,極端な知性派です(笑).これでも控え目な言いかたです(笑).彼はものすごく頭が切れて,何かこう,楽しんでいるみたいな,少なくとも私にはそう感じられるのですが,つまり彼には,人々を驚かせて楽しんでいるようなところが見えるのです.

レオ・シラード(1960年ごろ).出典: Wikipedia, https://en.wikipedia.org/wiki/Leo_Szilard

参考文献
シラード, L. 1982:『シラードの証言』みすず書房.
セグレ, E. 1976:『エンリコ・フェルミ伝』みすず書房.