2017年7月26日 追記
本稿掲載後、新資料をいくつか発見・閲覧しました。それをもとに本稿に加筆と訂正を施し、拙論「日本学術会議の「2017年声明」を考える」に、補論3として収めました。
南極観測に自衛隊が協力することの是非をめぐる議論は、海上自衛隊の艦船「ふじ」が活躍するようになっても、なお続いた。
1971年12月、「南極地域研究観測について」と題したシンポジウムが開催された。「防衛庁が南極観測の輸送を担当していることについて、研究者のあいだから疑義がもたれていたため、この問題を中心」に議論しようと、日本学術会議の南極特別委員会と、学問・思想の自由委員会、長期研究計画委員会が共同で開催したのである(注1)。
このシンポジウムの詳細については、今のところ明らかにしえていない。ただ『学術会議二十五年史』は、「シンポジウムの結果、1969(昭和44)年に行った3委員会の覚書を再確認した」と述べ、以下のような覚書を紹介している(注2)。これを読むと、自衛隊の協力を得て南極観測を進めることに危惧を抱く人たちが、まだ少なからず存在したことがわかる。
南極地域観測についての覚え書
1969年10月27日
[前文、略]
1. 日本学術会議がその発足に際し確立した「戦争を目的とする科学研究に従わない」という基本的立場に立ち、又、再開に際して第40回総会(昭和38年)に報告された南極特別委員会の見解にあるように「学術目的[を]達成するため、科学者に主体性を持たせる」(別紙1)という精神を貫ぬくということを、現在の時点において再確認すること。
2. 現在、南極地域観測に関しては、輸送は防衛庁が担当している。 …南極地域観測に従事する科学者はつねに前項の精神に立ち返って謬なきを期し、この精神に背馳するおそれのあるような紛わしい点、特に輸送と関連する作業などにおいて厳密に考えるよう努めるべきであり、自衛隊もこの精神に基いて法の限度を超えないよう努めなければならない。(以下、中略)
3. 南極地域観測事業において、その輸送を防衛庁が担当するという現状は純学術的目的をもって行われる本事業として決して好ましいものではない。学術会議並びに南極地域観測に関係する科学者はなるべく早くこの体制を改める方向で検討を進め、その改正実現に努めること。
これまで見てきたように、1960年代から70年代にかけ、南極観測事業のために自衛隊から協力を得ることに対し、学術会議の中に危惧の念を抱く人たちがいた。ただそうした人たちが、科学研究の遂行に必要なロジスティックの面で自衛隊から協力を得ると科学研究にどのような悪影響が及ぶと考えていたのか、その具体的内容は必ずしも明らかでない。具体的な悪影響を危惧していたというより、ベトナム戦争を背景にした(米軍ならびに)自衛隊への忌避感の高まりが、強く作用していたようにも思われる。
また、国民の広い支持・関心を集めていた南極観測が、自衛隊に対する国民の親近感を高めるのに利用されることへの警戒感もあったかもしれない。当時、国会で次のように発言する野党議員もいたのである。「防衛庁としては、南極観測に反対する国民はないであろうから、このことを防衛二法に含ましておけば、おそらくこの防衛二法はそういう意味からもわりあいに比較的安易に国会を通るであろう、こういう賢明な判断をなさったのではなかろうかと私どもは推測しておるわけです(注3)。」
なお、科学研究のためにロジスティック面で軍(ないしそれに準ずる組織)から協力を得ることに対し科学者が抱く危惧の念は、その強さが、学問分野によってかなり異なっていたようにも思われる。この点については、米軍からロジスティック面で協力を得るという次の事例のなかで、あらためて考えてみよう。
注1) 日本学術会議『日本学術会議二十五年史』日本学術会議、1974年、p.449.
注2) 日本学術会議、前掲書、p.449. 同書では覚書のタイトルが「南極地球観測についての覚え書」となっているが、正しくは「地球」ではなく「地域」であろうと判断した。
注3) 参議院内閣委員会(1964年12月16日)での伊藤顕道(社会党)の発言。同委員会議録より。