日本学術会議の会員構成の「偏り」

いま日本学術会議で、防衛装備庁による「安全保障技術研究推進制度」に研究者が応募することの是非をめぐって議論が行なわれている。研究者がこれに応募することは、日本学術会議が1950年代、60年代に確立した基本姿勢の一つ、「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない」に抵触するのではないか、いや「基本姿勢」のほうこそ見直すべきではないか、などが論点である。

こうした議論において想定されている「研究者」は、概ね、大学(およびJAXAなど国公立の研究機関)に所属する研究者であり、民間企業や防衛省に所属する研究者は考慮されていないように思われる。「安全保障技術研究推進制度」の問題点として挙げられているのが、「大学を再び「軍事」に巻き込もうとするものである」「研究成果の公表が制限され、大学の自由な研究環境が失われる」など、もっぱら大学(の研究者)に関するものだからである。

しかし、「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない」という日本学術会議の基本方針は、1950年代60年代の議論をみれば明らかなように、自らが軍事研究に手を染めないというだけでなく、科学技術が軍事利用されることを防ぐことも含んでいたはずである(注1)。そうだとすれば、国公私立の試験研究機関や民間企業、さらには防衛省に所属する研究者も含める形で、「科学技術の軍事利用を防ぐ」ことが検討されるべきではないかと思われる。

にもかかわらず、議論がともすれば「大学(に所属する研究者)の問題」へと収斂していくのは、なぜだろう。要因の一つに、日本学術会議の会員には大学教員が多いという事情があるのではなかろうか(注2)。

日本学術会議の会員構成に「偏り」があることは、同会議会員の一人である福島要一が早くも1980年代に、その要因とともに指摘していた(注3)。学術会議の会員が選挙によって選出されていた頃のことである。

学術会議の会員は、圧倒的に大学教授によって占められている。それにはさまざまな理由がある。そもそも選挙によって会員を選ぶという方式の下では、一般的にいって大学教授以外の人を選ぶことを困難にしている。

たとえば試験研究機関には、大学と違って「はっきりした序列」があるのが普通である、したがって「所長をさしおいて一般研究員が立候補することには、周囲の抵抗が強すぎる」。研究機関の長にしても、行政や企業に対していろいろな責任があって、学術会議の活動を優先することができないから、機関の長が立候補することも「かなりむずかしい」。

このころの日本学術会議は、学問領域ごとに七つの部に分かれていた。福島が言うには、その七部制は東京大学の学部構成(文・経・法・理・工・農・医)に倣ったものだったから、それぞれの部の会員が「それぞれの学部の教授であることは当然であった」。実際、第七部(医学)の場合は、「大学教授であることが、会員に推せんされる必要条件であった」。第五部(工学)では、「巨大企業の研究者が、若干ほとんど毎期選ばれてきた」が、これはむしろ例外であった。福島はこのように指摘している。

現在の学術会議は、三部制(人文科学系、生命科学系、理学・工学系)に再編され、会員の選出方法も公選制から(現会員による)推薦制へと変更されている。しかし、「大学関係者が多い」という情況は基本的に変わっていないように思われる。

なお福島要一がこうした「偏り」に言及しているのは、「学術会議の[政府に対する]勧告、要望、申入れの中に、大学問題に関するものの特に多い」という事実との関連においてであり、「偏り」を強く否定的に捉えているわけではない。しかし、「偏り」という事実に問題意識を抱いていたことは間違いない。


注1) 杉山滋郎『「軍事研究」の戦後史』ミネルヴァ書房、2017年、第2章および第3章。
注2) 1950年代からすでに「大学を聖域化すればよい」という傾向があった、という事実も指摘しておこう。詳しくは前掲書の第2章を参照されたい。
注3) 福島要一『「学者の森」の四十年(下)― 日本学術会議とともに』日本評論社、1986年、pp.293-294.