『「軍事研究」の戦後史』の第6章第4節で、防衛装備庁による安全保障技術研究推進制度について Gerald Hane が、日本には「行政指導」という不透明な手法があるので、慎重に考えたほうがよいと指摘していることを述べた。そこで今回は、軍事に関わる行政指導の事例を一つ紹介しておこう。(ただし、Gerald Hane がこの件を念頭においているという意味ではない。)
1983年11月8日、日本政府は米国との間で「対米技術供与に関する交換公文」を交わした(注1)。その背景や内容・意義について、内閣官房長官談話(1983年1月14日)は次のように述べていた(注2)。
日本はこのときまで、日米安保体制のもとで防衛力を整備するためにアメリカから技術供与も含め各種の支援を受けてきていた。しかし「近年我が国の技術水準が向上してきたこと等の新たな状況を考慮すれば我が国としても、防衛分野における米国との技術の相互交流を図ることが,日米安保体制の効果的運用を確保する上で極めて重要となっている」。そこで、「相互交流の一環として米国に武器技術(その供与を実効あらしめるため必要な物品であって武器に該当するものを含む。)を供与する途を開くこととし、その供与に当たっては、武器輸出三原則によらないこと」にした。
当時、この対米技術供与が、武器輸出三原則を緩和するという点が国会などで大きな問題になった。もちろん日本政府は、「日米相互防衛援助協定の関連規定に基づく枠組みの下で」技術供与するのだから、「国際紛争等を助長することを回避するという武器輸出三原則によって立つ平和国家としての基本理念は確保される」と主張したのだが。そもそも日米相互防衛援助協定(1954年5月)は、「国際の平和及び安全保障を育成することを希望」(注3)して交わされているのだから、というのだった(注4)。
ただし、対米技術供与は「武器輸出三原則」との関係で大きな問題になったのであるが、対米技術供与の対象が「武器」だけだったと思ってはならない。
日本からアメリカに宛てた交換公文は、「日米安全保障体制の効果的運用を確保するために、アメリカ合衆国に対して武器技術を供与する途を開くことにより、防衛分野における技術の相互交流を図ることを決定しました」と述べたあと、こう続けている(注5)。
この関連で、日本国政府は、武器技術以外の防衛分野における技術の日本国からアメリカ合衆国に対する供与が、従来から、また現在においても、原則として制限を課されていないことを確認し、関係当事者の発意に基づきかつ相互間の同意により実施される防衛分野における技術のアメリカ合衆国に対する供与を歓迎します。そのような供与は促進されることとなりましょう。
「武器技術以外の防衛分野における技術」すなわち民生用技術が、軍事用途に利用する目的でアメリカに供与されることを「歓迎し」、また政府としてそれを「促進」するというのである。
実際、この交換公文の締結に向け交渉が最終段階に入った1983年11月、アメリカから調査団が来日して、省庁の幹部や政治家たちと会談した。
その調査の「報告書」は、こう述べている(注6)。
中曽根首相が日本の軍事技術の米国への移転を許したことは、日本の公式の「軍事技術」の額面をはるかに超えた影響を与えた。…軍事技術についての門戸を開いただけでなく、さらに重要なことには汎用技術の輸出に対するうしろめたさを取り除くことにもなった。…汎用技術は、これまでも常に輸出できたが、…いまや汎用技術は公式に、積極的に輸出が許可されることになった。
明らかに、民間の汎用技術に関心があったのである。実際、前述の調査団の一行は、富士通・日立・三菱電機・日本電気・東芝・石川島播磨・川崎重工・三菱重工などの民間企業や経団連スタッフらと会談して、米国の防衛技術に利用できそうな日本の先端技術について調査した。そして、「日本の先端技術分野16分野」に注目した。なかでもガリウムヒ素化合物、セラミックスなどの複合材料や耐熱材料などを高く評価し、「米国の防衛に寄与するものと考えた」(注7)。
しかし、そこで問題となったのが、民間のハイテク技術を武器技術として対米供与することを、当の民間企業が臨まなかった時にどうするかであった。この点について同調査団の報告書は、こう述べている。
作業部会は政府省庁との話し合いの中で、米国産業界の主たる関心は、防衛面に利用可能な日本の先進商業技術面にあることを明らかにした。その上、作業部会は[日本の]政府省庁に対し、米国の会社との間でのこれらの技術についての協力が承認されるであろうことを[日本の]産業界に説得するよう要請した。
そして「これについては合意をみ」た。その合意内容は、先に引用した交換公文の最後の文、「そのような供与は促進されることとなりましょう」(Such transfer will be encouraged)というものであった(注8)。
藤島によれば、ここに出てくる “encourage” こそ、「行政指導を行うことをあらわすときに使われる便利な言葉」なのだという。つまり政府は、民間企業が民生技術を軍事利用のために供与することに二の足を踏んだら、企業に対し行政指導することを、この交換公文でアメリカ側に約束したというのである。
藤島は同じ書で、”encourage” =「行政指導」の例として、1988年3月に成立した「建設市場開放についての日米合意」も挙げている。
アメリカは民間工事に米国企業が参入できるよう、保証を求めた。それに対し日本政府は、政府が民間を拘束することはできないという論を展開するが、結局は「日本国政府は…内外の供給者に対して競争の機会を無差別に提供することを確保するための措置をとるよう積極的に勧奨する」という一文を日米合意に含めた。
「積極的に勧奨する」は、英文で “will actively encourage” である(注9)。「かねて日本の「ギョーセーシドウ」を批判している米国だが、ことこの問題では「エンカレッジ」という名の「ギョウセーシドウ」を求めた」(注10)のであった。
注1) 正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定に基づくアメリカ合衆国に対する武器技術の供与に関する交換公文」である。
注2) http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1984/s59-shiryou-202.htm.
注3) 「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定」http://www.mod.go.jp/j/presiding/treaty/sougo/sougo.pdf.
注4) 2015年12月24日の朝日新聞夕刊は、当時 中曽根康弘首相が、武器技術供与と武器輸出三原則との関係について「法制局が憲法違反だと言っていた」が「首相の判断で押し切る、それが首相の立場だ」などと発言していたことを、同日に公開された外交文書をもとに報じた。(この記事は、ここでも公開されている。)
注5) 藤島宇内『軍事化する日米技術協力』未来社、1992年、p.85.
注6) 藤島宇内『軍事化する日米技術協力』未来社、1992年、p.87から、一部(…で示した箇所)を省略して転載。下線は引用者。以下、調査団の報告書からの引用はこの藤島の著作より。
注7) 広田秀樹「アメリカの世界戦略展開の一構成要素としての日本の対米軍事技術供与―レーガン政権・ブッシュシニア政権下での日本の対米軍事技術供与始動への視点―」『地域研究』第13号〈通巻23号〉、2013年、pp.95-112. 引用はp.101から。
注8) 藤島宇内、前掲書、pp.87-88.
注9) 藤島宇内、前掲書、pp.93-94.
注10) 日本経済新聞夕刊、1988年3月30日。