「敗戦後はじめての教授会」への補足

以前このブログに、「敗戦後はじめての教授会」という一文を書いた。その中で、敗戦から2日後の1945年8月17日に開催された北海道帝国大学の部科長会議において、「軍事研究に関連する書類などは処分せよ」との指示が各学部に対してなされたことを紹介し、以下の一文を理学部教授会議録から引用した。

但し研究は軍関係のもの、戦力に直接関係するものに在りては純学術的なものに或は平和産業方面のものに切替へ実施の事。又、□力や戦力に関する重要書類並思想関係書類は完全に処理し置く事。[□の箇所の一字、判読不能]

そのうえで、「この指示の、大元の発信者は誰なのか(総長か、それとも文部省か)は不明である」と書いた。しかしどうやら、その指示は文部省からのものだったと思われる。京都帝国大学理学部の湯川秀樹が、「敗戦の10日後」の教授会に出席したときの手書きメモに、以下のような記述があるというからだ。

文部省より指示事項
秘書課、大学等にては…軍関係…研究業務委託等に関する書類焼却の事…動員課、…学校工場化書類焼却の事…(以下略)
専門教育局、機密書類の処理、…敵に利用さるる(ママ)おそれある書類は焼却…(中略)…講座の改変(以下略)
教育局 (以下略)
科学局 (以下略)
学部長会議 総長指示
講座名、学科名、内容等 この際改める必要あるもの 例へば「航空物理学」→「物理学第七講座」…研究所の名前の変更 特別研究生研究題目の変更…

軍に関連する書類の焼却や、軍事と結びつく名称の改変、といった指示が、「文部省より指示事項」の中に含まれている。そして総長は、文部省からのその指示を踏まえて、「航空物理学」という講座名を「物理学第七」に改めるなどの例示を行なったのであろう。

上に引用した湯川秀樹による「手書きメモ」は、小沼通二「軍事研究に対する科学者の態度―日本学術会議と日本物理学会(2)」『科学』、2016年11月号、1186-1197 の、p.1193 に引用・紹介されているものである。「…」と示された箇所が、引用にあたって省略されたのか、判読不能なのか、あるいは湯川自身が「…」と表記しているのかは、はっきりしない。しかし、「文部省からの指示だった」ことは確認できる。
(上記引用文中の(中略)や(以下略)は、私が引用を省略したことを示す。)