終戦前後にも活発な研究活動

北海道大学総合博物館2階の北の端に「科学技術史資料」を展示したコーナーがある。その一隅にあるガラスケース内に、一冊のノートが、ページを開いた状態で展示されている(写真参照)。

理学部生物学科の助教授であった牧野佐二郎が、敗戦前後の1940~45年10月に、読んだ科学文献の要点や、研究会での報告内容などについて書きとめたノートである。

開いてあるページの右上には小さな紙切れが貼り付けられている。かなり変色したザラ紙であるが、「日本遺伝学会札幌談話会第82回例会案内~小熊教授還暦祝賀談話会~」という見出しや、そのプログラムなどをはっきり読み取ることができる。

小熊捍は、理学部長を2期6年間務め終え、今は低温科学研究所と触媒化学研究所の所長だった。昭和20年の8月24日が60歳の誕生日だったので、その翌日25日の土曜日に、日本遺伝学会札幌談話会の例会を兼ねて、還暦祝賀会を開催したというわけである。

なんと、終戦からわずか10日後である。小熊の還暦を祝うためにかなり無理をして特別にこうした例会(研究会)の場を設けたのかと思いきや、そうでもなさそうである。牧野によるこのノートを前後に繰っていくと、6月28日の木曜日の午後に第81回の例会を開催して2人の研究者が研究発表をしているし、9月18日には別の研究会(雑種強勢 第II回 小会)も開催している。

敗戦前後のドタバタした状況の中でも、研究を続けようと努めていたのである。9月18日の研究会では小熊が、「各人ノ智識ノ断片ヲ持チヨリテソレヲ組織シテ1ツノマトマツタモノニ育テ上ゲル」ことを提案してもいる。

とはいえ、食糧事情は悪かったようだ。8月25日午後3時からの談話会が終わったあと、午後6時から市内北7条西13丁目の理学部倶楽部で「小熊教授還暦祝賀懇親会」を開催するのだが、会費500円のほかに、「お米1合、醤油5勺、お酒1合」を持参して欲しいと、案内状に記している。

また9月18日の研究会の報告内容をメモした最後には、こんな一文がある。

22日ニ上野幌、興農公社トウモロコシ畑へ招待

興農公社とは、のちの雪印乳業(株)の母体である。誰かの伝手により、上野幌にある同公社の畑でトウモロコシを分けてもらえるというのだろう。冒頭に黒丸を付して強調しているくらいだから、よほど嬉しかったのだと思われる。

総合博物館に展示されている一冊のノート。それが、終戦前後の科学者たちの暮らしぶりや研究活動の様子を垣間見せてくれる。ノートに記されている研究会の報告メモも、きっと何かを教えてくれるに違いない。


牧野佐二郎のノート『文献覚書VI(1940-45X)』の閲覧にあたっては、山下俊介氏(同博物館資料部)のご配慮を頂いた。