中谷宇吉郎は1949年に3カ月間アメリカ各地を旅した折、カリフォルニア大学バークレー校の東亜図書館で主任ハッフ(Elizabeth Huff)博士の「助手のやうな仕事をしてゐる」エリザベス・マッキンノンの自宅を訪れ、東亜図書館も見学させてもらった(注1)。「マッキンノン嬢は、札幌のミッションスクールである北星女学校の先生を以前してゐて、戦前私の家の向ひに住んでゐたので、その頃から知り合ひ」だった(注2)。
エリザベス・マッキンノン(Elizabeth McKinnon)は、ダニエル・ブルック・マッキンノンと秦子(しんこ)夫妻の娘として1918年、東京で生まれた。父ダニエルは1917年から小樽高等商業学校の英語教師をしていたので、エリザベスは両親とともに小樽で子ども時代を過ごす。その後、東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身)で日本文学を学んで1938年に卒業、北海道に戻って札幌の北星女学校で教壇に立った(注3)。
ダニエルら一家は、小樽高商が「特にこの学校に多い外人教師のために…[大学近くに]建てた」(注4)官舎に住んでいたから、エリザベスは中谷の家の向かい(路地を挟んで北側か?)に、家族とは別に住んでいたのであろう。
ところが1941年12月、父ダニエルとエリザベスの弟リチャード(当時金沢の四高2年生)が、日米開戦とともにスパイ容疑で検挙・拘留される。そのためエリザベスは、妹リンコナとともにアメリカに帰国を余儀なくされる。そして父と弟ものちに捕虜交換船で帰国した。(母の秦子は日本国籍のため渡米せず、1943年に病気で死亡)。
訃報記事”Elizabeth McKinnon Carr”によると、エリザベスは1951年にカリフォルニア大学東洋語学部のDenzel Carr教授と結婚し、54年に図書館を退職した。他方、『北星学園八十年誌稿』の「学園関係宣教師と外人教師名」(注5)には、
Mrs. Denzel Carr 昭和25-28
(Elizabeth K. Mackinnon) 昭和16-17
とリストアップされている。したがって1951年に結婚する少し前の頃から、1954年に長女を出産する少し前まで、東亜図書館の仕事で再来日し、その折に北星学園とも関係を持ったものと思われる。
エリザベスは2013年、95歳で没した(注6)。
注1) 杉山滋郎『中谷宇吉郎 人の役に立つ研究をせよ』ミネルヴァ書房、2015年、p.317
注2) 中谷宇吉郎『花水木』文藝春秋新社、1950年、p.66
注3) “Elizabeth McKinnon Carr” ; 倉田稔「小樽高商の先生たち」『商学討究』45(1), 1994, pp.53-79
注4) 伊藤整『若い詩人の肖像』新潮文庫、1958年、p.92; 小樽高商の学生だった伊藤整はこの書で、ダニエルの小樽高商での授業ぶりについても詳しく描写している。またエリザベスについても「マッキンノンさんと日本人の奥さんのとの間には何人かの子どもがあったが、上のお嬢さんは小樽の女学校に行っていて、非常な美人で、かつ才媛だということであった」と書いている。
注5) 北星学園編集『北星学園八十年誌稿』北星学園、1967年
注6) エリザベスの弟リチャードは、ハーバード大学を卒業し、能や狂言などの日本文化研究で博士号を取得。特に世阿弥の研究では米国の第一人者と言われ、狂言の6代目野村万蔵一家をシアトルに1年間招くなど文化交流活動も活発に行なった。