福山甚之助と新聞「家庭」『福山甚之助と新聞「家庭」』への補足 2023年5月に発行した『福山甚之助と新聞「家庭」』に盛り込むことができなかったエピソード、登場人物についての補足説明、索引などを掲載しています。 1 「家庭」の創刊 「シャン」の流行:甚之助が本科へ進学したころのエピソード 福山甚三郎の大阪での同窓生と北海道 北海道の醤油醸造業者(1925年ごろ) 2 編集執筆を開始 佐藤昌介(北海道帝国大学総長)をめぐって 3 文芸ものも充実 鈴木商店とは 成... 2023.05.24福山甚之助と新聞「家庭」
その他新聞の夕刊、日付に要注意 今や、太平洋戦争前など昔の新聞も、主要紙であればデータベースを使ってオンラインで手軽に読むことができるようになった。一昔前、縮刷版やマイクロフィルムで読むために図書館に出かけなければならなかったのとは大違いである。 ただ、一頃ひところの夕刊については、その発行日に注意する必要がある。 下の図は、大阪毎日新聞1915年10月12日夕刊の第一面である。欄外上部を見ると、右から順にこう書いてある。 (日... 2024.01.19その他
福山甚之助と新聞「家庭」池田すゞろ とは 「池田すゞろ」という人物の寄稿(社会時評的な随想)が、新聞「家庭」の30号(1928年9月)以降にときどき掲載されている。池田すゞろ(本名 池田源之助)とはどんな人物なのだろうか。 彼について平塚常次郎が次のように述べている。平塚は、戦前に日露漁業(現ニチロ)社長、戦後は運輸大臣、衆議院議員などを歴任した実業家・政治家である。 池田は北海道のニシン漁場に生まれ、漁場の経営もやり、ニシン漁場のひとか... 2023.06.18福山甚之助と新聞「家庭」
福山甚之助と新聞「家庭」『醤油の話』 家庭社が1930年に発行した『醤油の話』は、大きさが縦16cm、横11cmほど、全頁数70頁あまりの小さな冊子である。 『醤油の話』家庭社、1930年(北海道立図書館蔵) 最初の50頁ほどは福山甚三郎による「醤油の話」で、末尾には神尾三休(本名、神尾正)による「醤油小話」が添えられている。 それにつづいて次の3話が、附録として収録されている。 福山甚三郎「守愚の訓」 小佐部藤次郎「苔のむすまで」 ... 2023.06.15福山甚之助と新聞「家庭」
福山甚之助と新聞「家庭」佐藤昌介(北海道帝国大学総長)をめぐって 爵位 佐藤昌介の二男 昌志まさしは、母の生家である稲田家の養子となり、稲田昌植まさたねとなった。そして1920年3月、父の稲田邦植くにたねが隠居したのにともない爵位(男爵)を継承し、1925年には貴族院議員にも選出される。 一方の佐藤家では、長男が若くして亡くなり、他の二人の男子も早く世を去ったために、五男(末子)の昌彦が佐藤家を継ぐ。佐藤昌介は1928年11月、昭和天皇の即位式に会わせて行なわれ... 2023.06.14福山甚之助と新聞「家庭」
福山甚之助と新聞「家庭」成田深雪の父 渡辺兵吉 新聞「家庭」に撫子の筆名で随想を数多く寄せた成田深雪。彼女の父 渡辺兵吉は東京で「六合りくごう館」という出版社(書籍商)を営んでいた。 「六合館」は明治の初め、「欧米各国の図書を翻刻発行する」ことを目的に、松井忠兵衛、清水卯三郎、塩島一介、梅原亀七、伊藤徳太郎らが設立した出版社(書籍商)である。やがて、弦巻七十郎が、ついで渡辺兵吉が、その経営を受け継いだ。 国立国会図書館のデータベースで検索してみ... 2023.06.10福山甚之助と新聞「家庭」
福山甚之助と新聞「家庭」『北日本評論』創刊号 『北日本評論』は1935年7月に、寺島裕を編輯兼発行人として創刊された。発行元は北日本評論社(札幌市南2条西6丁目、寺島が社長)である。 「発刊の辞」で寺島は、概略、次のように述べている。 満洲や朝鮮の開発に世人の注目が集まっているが、北海道ならびに樺太という北方の開発も軽視してはならない。「国防上の見地に於て満洲が生命であるならば、同じ観点の下に吾が北日本も決して彼に勝るとも劣らぬ生命線である」... 2023.06.09福山甚之助と新聞「家庭」その他
福山甚之助と新聞「家庭」成田秀三をめぐるエピソード 北海道帝国大学の予科でドイツ語教授だった成田秀三は、1923年秋に欧州への留学に出発する。21年にスキー部の第3代部長になってから間もないときである。 新聞「家庭」には、その欧州での旅行をもとに、旅烏という筆名で「独逸ところどころ」を寄稿した。自分の描いた挿絵(スケッチ)もときどき添えている。書籍に掲載したもののほかに、以下のようなものがある。 ホルンベルヒの古城 出典: 「家庭」15号 アーヘン... 2023.06.08福山甚之助と新聞「家庭」
福山甚之助と新聞「家庭」『北海評論』という雑誌 福山甚之助は1949年、『北海評論』という雑誌に2つの論説を発表している。 「北海道大豆を憶ふ」(第4巻第1号、1949年1月発行) 「油脂資源増産の急務」(第4巻第5号、1949年6月発行) この『北海評論』という雑誌は、1935年創刊の『北日本評論』が敗戦後の1945年12月に、改題して再出発した雑誌である。 『北海評論』創刊号(1945年12月)表紙 『北日本評論』を創刊したのは、それまで帯... 2023.06.05福山甚之助と新聞「家庭」
福山甚之助と新聞「家庭」「シャン」の流行:甚之助が本科へ進学したころのエピソード 「シャン」は、「顔だちの美しいこと、あるいは、美人」をいう俗語として、かつてよく用いられた。ドイツ語の shöen (美しいという意味の形容詞)に由来する。 『日本国語大辞典』はその語誌について、次のように記している。 明治時代の旧制高等学校の学生が言い出し広まった語。大正から昭和戦前にかけて学生以外にもよく使われた。特に昭和初期には流行語となり、「シャン」を元に多く合成語が造られた。 合成語には... 2023.06.04福山甚之助と新聞「家庭」
福山甚之助と新聞「家庭」林類蔵と飛行機 「飛行船ツェッペリン号の飛来」の項で、林類蔵がもらった「世界的の珍品」について紹介した。飛行船ツェッペリン号の乗員たちがサインしてくれた色紙である。 このサインをもらったことを林は大いに誇りに思っていたようで、札幌商工会議所(編)『昭和四年度 札幌商工人名録』にも、そのサイン(「家庭」42号に掲載されているのと同じ)を使った広告を掲載している(下図)。 出典: 札幌商工会議所(編)『昭和四年度 札... 2023.06.02福山甚之助と新聞「家庭」