重水素とトリチウム杉浦兼松のがん研究と重水 重水が手に入るようになって間もない1934年、ニューヨークで、重水でがんの増殖を抑えることができるのではと考えて研究した日本人がいた。杉浦兼松である。野口英世や高峰譲吉とも交流のあった杉浦が、米国で研究するまでの経緯についても紹介しよう。 2021.09.14重水素とトリチウム
重水素とトリチウムハンスギルグとは,いかなる人物か ハンスギルグ(Fritz Johann Hansgirg)なる人物が「重水に関する情報」を朝鮮窒素肥料株式会社の研究部門にいた田代三郎にもたらし、野口研究所が「重水の製造」について研究する遠因になった。そのハンスギルグとはいかなる人物か、その経歴などを明らかにする。 2021.08.02重水素とトリチウム
重水素とトリチウム野口研究所で重水製造の研究を始めたきっかけ ― 田代三郎の回想 野口研究所が「重水の製造」を研究テーマとするにあたっては、久保田正雄からの提案のほか、田代三郎(のち野口研究所常務理事)からの提案も契機となったと思われる。その田代の回想を紹介する。 2021.08.01重水素とトリチウム