「軍事研究」の戦後史三村剛昻の葛藤、被爆した物理学者として 物理学者の三村剛昻(みむら よしたか)は、戦後の1952年に原子力の研究を始めようとする動きが日本の学術界に出てきたとき、広島で被爆したという自らの体験もあって、原爆の開発につながりかねないとして強く反対した。しかしその三村も、前年の日本学術会議総会では、『「軍事研究」の戦後史』の第2章に記したように、「戦争を目的とする科学の研究には絶対に従わない」という姿勢を声明で示すことに対し、反対意見を述べ... 2016.12.20「軍事研究」の戦後史