福山甚之助

福山甚之助と新聞「家庭」

『醤油の話』

家庭社が1930年に発行した『醤油の話』は、大きさが縦16cm、横11cmほど、全頁数70頁あまりの小さな冊子である。 『醤油の話』家庭社、1930年(北海道立図書館蔵) 最初の50頁ほどは福山甚三郎による「醤油の話」で、末尾には神尾三休(本名、神尾正)による「醤油小話」が添えられている。 それにつづいて次の3話が、附録として収録されている。 福山甚三郎「守愚の訓」 小佐部藤次郎「苔のむすまで」 ...
福山甚之助と新聞「家庭」

成田秀三をめぐるエピソード

北海道帝国大学の予科でドイツ語教授だった成田秀三は、1923年秋に欧州への留学に出発する。21年にスキー部の第3代部長になってから間もないときである。 新聞「家庭」には、その欧州での旅行をもとに、旅烏という筆名で「独逸ところどころ」を寄稿した。自分の描いた挿絵(スケッチ)もときどき添えている。書籍に掲載したもののほかに、以下のようなものがある。 ホルンベルヒの古城 出典: 「家庭」15号 アーヘン...
福山甚之助と新聞「家庭」

『北海評論』という雑誌

福山甚之助は1949年、『北海評論』という雑誌に2つの論説を発表している。 「北海道大豆を憶ふ」(第4巻第1号、1949年1月発行) 「油脂資源増産の急務」(第4巻第5号、1949年6月発行) この『北海評論』という雑誌は、1935年創刊の『北日本評論』が敗戦後の1945年12月に、改題して再出発した雑誌である。 『北海評論』創刊号(1945年12月)表紙 『北日本評論』を創刊したのは、それまで帯...
福山甚之助と新聞「家庭」

「シャン」の流行:甚之助が本科へ進学したころのエピソード

「シャン」は、「顔だちの美しいこと、あるいは、美人」をいう俗語として、かつてよく用いられた。ドイツ語の shöen (美しいという意味の形容詞)に由来する。 『日本国語大辞典』はその語誌について、次のように記している。 明治時代の旧制高等学校の学生が言い出し広まった語。大正から昭和戦前にかけて学生以外にもよく使われた。特に昭和初期には流行語となり、「シャン」を元に多く合成語が造られた。 合成語には...
福山甚之助と新聞「家庭」

林類蔵と飛行機

「飛行船ツェッペリン号の飛来」の項で、林類蔵がもらった「世界的の珍品」について紹介した。飛行船ツェッペリン号の乗員たちがサインしてくれた色紙である。 このサインをもらったことを林は大いに誇りに思っていたようで、札幌商工会議所(編)『昭和四年度 札幌商工人名録』にも、そのサイン(「家庭」42号に掲載されているのと同じ)を使った広告を掲載している(下図)。 出典: 札幌商工会議所(編)『昭和四年度 札...
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人名索引

『福山甚之助と新聞「家庭」』に登場する主要な人物についての索引です。A5版用に製作してありますので、ダウンロードのうえ、A4用紙を横にし 2頁並べて印刷すると、用紙1枚に収まります。 補足一覧へ
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山田正の渡欧を後援する会

『福山甚之助と新聞「家庭」』の164頁に記したように、福山甚之助は「家庭」52号(1930年7月)に、画家 山田正の渡欧を後援する会について記している。 その記事には、下のような図も添えられている。 出典: 「家庭」52号 上段には山田正の写真と、彼の作品の一つが配置され、下段には「渡欧後援会」賛助員の署名(一部のみ)が配置されている。 なお、「北海道立美術館等所蔵作品データベース」で山田正の絵画...
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池田林儀と福山甚之助の出会い

『福山甚之助と新聞「家庭」』の第7章第1節で、池田林儀の優生運動を紹介し、福山甚之助もその運動に興味を抱いて新聞「家庭」にも関連する記事をいくつか掲載していることを示した。 池田林儀の『優生運動』(1929年)の扉(国会図書館デジタルコレクションより) では、甚之助はどのようにして池田林儀のことを知るようになったのだろうか。 この二人の「出会い」について、以下の記事でいくつかの可能性を推測してみた...
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『福山甚之助と新聞「家庭」』への補足

2023年5月に発行した『福山甚之助と新聞「家庭」』に盛り込むことができなかったエピソード、登場人物についての補足説明、索引などを掲載しています。 1 「家庭」の創刊 「シャン」の流行:甚之助が本科へ進学したころのエピソード 福山甚三郎の大阪での同窓生と北海道 北海道の醤油醸造業者(1925年ごろ) 2 編集執筆を開始 佐藤昌介(北海道帝国大学総長)をめぐって 3 文芸ものも充実 鈴木商店とは 成...