牧野佐二郎

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「北大理学部の心意気」がウエブサイトに

北海道帝国大学理学部が1930年4月に開校して間もないころ、若き教官たちが自由闊達に活躍していた様子をいくつかのエピソードで描いた「理学部の心意気」。理学部広報誌『彩』の90周年特集号(2021年3月発行)に寄稿したものだが、このたび理学部のウエブサイトにも掲載された。 中谷宇吉郎や、朝永振一郎、W.クロル(外国人教師)、岡潔、堀内壽郎、鈴木醇、牧野佐二郎などが登場する、短い読み物である。 なお、...
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研究で得た賞金を生活費に ― 牧野佐二郎

牧野佐二郎は、1942年に雑誌『キトロギア』に発表した論文(体細胞に染色体対合を誘発できたという実験を報告したもの(注1))で、賞金をもらった。その使い道について、牧野は1970年にこう書いている。 月給85円の時代に200円の賞金は目のとび出るものであり、貧乏暮しで子供を育てていた家内と2人、ありがたくいろいろなものを買わせていただいたが、そのとき求めた25円の英国製ベロアの帽子はいまでも冬にな...
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牧野佐二郎と顕微鏡

前回「小熊捍と顕微鏡」で述べたように、小熊捍は顕微鏡で精確な観察ができなくなったのを機に、研究の最前線から身を引いた。小熊の弟子、牧野佐二郎も同様だったようだ。 牧野は「なにかに打ち込んでいなければきがすまない」(注1)気性で、定年退職後も顕微鏡を覗いていたようだが、最晩年になると、「今は目が悪くなり顕微鏡はみられなくなったので家畜の染色体異常の文献の仕事を自宅で」することになる(注2)。 その牧...
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小熊捍と顕微鏡

敗戦から1週間ほど後の1945年8月25日、小熊は日本遺伝学会札幌談話会の第82回例会で、「六十年の回顧」と題して1時間あまりにわたって講演した。「小熊先生還暦祝賀談話会」を兼ねた例会だったからだ。 そのときの小熊の講演を、助教授だった牧野佐二郎がノートに書きとめている。そのなかに、こんな記述がある(注1)。 理学部長、6ヶ年。低[温]研、触媒研ヲ作ル。再ビ研究室ニ帰ルベキカヲ[考エタ]。顕微鏡ノ...
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染色体の研究と映画への関心 ― 牧野佐二郎と映画(4)

牧野佐二郎(1906-1989)は、自伝で回想しているように、北海道帝国大学の予科に入学するとまもなく活動写真(映画)にのめり込んだ。映画とのそうした鮮烈な出会いが、のちの彼の研究スタイル、すなわち自らの研究活動に16ミリ映画を活用するという流儀に、どう影響したのだろうか。 1967年の暮、牧野佐二郎は千葉医学会の例会で「人類染色体の最近の問題」と題して講演した。それを聴いた研究者の一人が感想を書...
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映画「牧場の春」とは ― 牧野佐二郎と映画(3)

牧野佐二郎が、映画への病が高じ製作仲間にも加わったという映画「牧場の春」とは、どんな映画だったのだろうか。また牧野は、どんな役割を果たしたのだろうか。 『北海道映画史』をまとめた更科源蔵は同書で次のように書いている。 この年[1924年]だったかその翌年だったか、記録にも当時の人にもはっきりしていないが説明者協会の人々によって『牧場の春』という映画がとられた。脚本、主役松浦翠波、女優さんに水島キミ...
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映画の雑誌「サトポロ」とは ― 牧野佐二郎と映画(2)

生物学者の牧野佐二郎が仲間に加わって出したという「「サトポロ」という映画の雑誌」は、いったいどんなものだったのだろうか。 1925年6月に創刊された「さとぽろ」という雑誌がある。編集を担当した外山卯三郎の下宿、桑園館(北3条西14丁目)を発行所とし、博文舎(南2条西8丁目)で印刷したもので、「北海道大学の学部と予科の学生、それに予科の先生」8人による同人誌である。「さとぽろ」という誌名は、「バチェ...
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牧野佐二郎と映画(1)

染色体の研究で知られる生物学者の牧野佐二郎は、自らの研究を動画(16ミリフィルムの映像)に撮りためていたし、学会発表などでも動画を活用した。また東京シネマ製作が、映画「ヒトの染色体―生命の秘密を探る―」(文部省学術映画シリーズ18、1966年)を製作するにあたっては、自ら監修するなど研究室をあげて協力した。この映画は、科学技術映画祭優秀作品賞など、いくつかの賞を受賞する。牧野佐二郎と映画(科学映画...
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低温科学研究所と小熊捍(その2)

1941年11月に発足した低温科学研究所は、中谷宇吉郎を中心に構想された当初の案(1939年)では、物理/気象/海洋/化学/医学及生理学 という5つの研究部から構成されるものであり、「生物」は含まれていなかった。しかし1941年11月に正式に発足した低温科学研究所では、純正物理学/気象学/生物学/医学 の4部門から構成され、「生物学」が含まれている(注1)。この間に、何があったのだろうか。 牧野佐...
中谷宇吉郎

牧野佐二郎と中谷宇吉郎

牧野佐二郎(1906 - 1989)は、北海道帝国大学の農学部を卒業すると、理学部の創設とともに農学部から理学部に移った動物学者・小熊捍のもとで助手になる。1930年のことである。このとき中谷宇吉郎も助教授として理学部に着任し、2年後には教授となる。牧野が助教授になるのは1935年、教授となるのは戦後の1947年である。したがって中谷宇吉郎のほうが牧野佐二郎より職位の面で先輩格であり、年齢も6歳上...