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湯川秀樹

重水素とトリチウム

堀義路の後半生

堀義路(1896 - 1972)は,重水の製造に関連して戦前から戦時中にかけ活発に活動した.ところが戦後になると,重水との関係で彼の名を目にすることはなくなる.堀は戦後,どんな活動をしていたのだろうか.『北大工学部応用化学科の40年』p.3堀義路は,東京帝国大学工学部応用化学科を1920年7月に卒業したあと,同大学で工学部の講師,臨時窒素研究所(農商務省)の嘱託などを経て,24年12月に北海道帝国...
2021.09.10
重水素とトリチウム
「軍事研究」の戦後史

「敗戦後はじめての教授会」への補足

以前このブログに、「敗戦後はじめての教授会」という一文を書いた。その中で、敗戦から2日後の1945年8月17日に開催された北海道帝国大学の部科長会議において、「軍事研究に関連する書類などは処分せよ」との指示が各学部に対してなされたことを紹介し、以下の一文を理学部教授会議録から引用した。但し研究は軍関係のもの、戦力に直接関係するものに在りては純学術的なものに或は平和産業方面のものに切替へ実施の事。又...
2016.11.22
「軍事研究」の戦後史

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