日本学術会議

「軍事研究」の戦後史

日本学術会議の「2017年声明」を考える

さる7月2日、北海道大学で開催された「日本平和学会 2017年度春季研究大会」で、標記のタイトルで簡単な報告をした。学会の会員ではないのだが、歴史的な視点からの話題提供が欲しいと言われて、応じた次第である。 口頭発表だけで済ますつもりだったのだが、引き受けた後になって「事前にフルペーパーが欲しい」と言われ、書き始めたら、それなりの分量になってしまった。 会場での質問やその他の機会にいただいたコメン...
「軍事研究」の戦後史

南極観測隊の派遣と自衛隊(3)

2017年7月26日 追記本稿掲載後、新資料をいくつか発見・閲覧しました。それをもとに本稿に加筆と訂正を施し、拙論「日本学術会議の「2017年声明」を考える」に、補論3として収めました。 南極観測に自衛隊が協力することの是非をめぐる議論は、海上自衛隊の艦船「ふじ」が活躍するようになっても、なお続いた。 1971年12月、「南極地域研究観測について」と題したシンポジウムが開催された。「防衛庁が南極観...
「軍事研究」の戦後史

南極観測隊の派遣と自衛隊(2)

2017年7月26日 追記本稿掲載後、新資料をいくつか発見・閲覧しました。それをもとに本稿に加筆と訂正を施し、拙論「日本学術会議の「2017年声明」を考える」に、補論3として収めました。 日本学術会議の1963年10月の総会(第40回総会)では、この年8月の、自衛隊が南極観測の輸送業務を担当するとした閣議決定が問題となった。 会長の朝永振一郎が会長報告の中で、輸送業務を自衛隊(防衛庁)に担当させる...
「軍事研究」の戦後史

南極観測隊の派遣と自衛隊(1)

『「軍事研究」の戦後史』では、軍事研究の範疇に、「軍(および軍関連機関)が資金、設備、ロジスティック、その他の面で支援する研究」も含まれるとした(注1)。このうち、ロジスティックの面で支援を受ける研究については、本文中で具体例を挙げることができなかった。そこで何回かに分けて、二つの例を挙げておきたい。一つは自衛隊からの支援、もう一つは米軍からの支援である。 2017年7月26日 追記本稿掲載後、新...
「軍事研究」の戦後史

政府から疎んじられた日本学術会議

『「軍事研究」の戦後史』の第5章に引用した新聞社説に、「率直にものを言う学術会議が政府から疎んじられたのは間違いない」というくだりがある(注1)。この一文について、若干の追記をしておきたい。 長年、日本学術会議の会員であった福島要一が、次のように記している(注2)。 学術会議と日本政府との関係を決定的に悪化させた契機が、1964年4月23日の第39回総会における「原子力潜水艦の日本港湾寄港について...
「軍事研究」の戦後史

日本学術会議の会員構成の「偏り」

いま日本学術会議で、防衛装備庁による「安全保障技術研究推進制度」に研究者が応募することの是非をめぐって議論が行なわれている。研究者がこれに応募することは、日本学術会議が1950年代、60年代に確立した基本姿勢の一つ、「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない」に抵触するのではないか、いや「基本姿勢」のほうこそ見直すべきではないか、などが論点である。 こうした議論において想定されている「研究者」は...
「軍事研究」の戦後史

三村剛昻の葛藤、被爆した物理学者として

物理学者の三村剛昻(みむら よしたか)は、戦後の1952年に原子力の研究を始めようとする動きが日本の学術界に出てきたとき、広島で被爆したという自らの体験もあって、原爆の開発につながりかねないとして強く反対した。しかしその三村も、前年の日本学術会議総会では、『「軍事研究」の戦後史』の第2章に記したように、「戦争を目的とする科学の研究には絶対に従わない」という姿勢を声明で示すことに対し、反対意見を述べ...