優生運動

福山甚之助と新聞「家庭」

池田林儀と福山甚之助の出会い

『福山甚之助と新聞「家庭」』の第7章第1節で、池田林儀の優生運動を紹介し、福山甚之助もその運動に興味を抱いて新聞「家庭」にも関連する記事をいくつか掲載していることを示した。 池田林儀の『優生運動』(1929年)の扉(国会図書館デジタルコレクションより) では、甚之助はどのようにして池田林儀のことを知るようになったのだろうか。 この二人の「出会い」について、以下の記事でいくつかの可能性を推測してみた...
その他

池田林儀と報知新聞の関わり

1927年に報知新聞の招きでノルウエーの探検家R.アムンゼンが来日した時、池田林儀しげのりが通訳の一人として活躍した。それは池田が、報知新聞の社員だったことと大きく関係している。 池田林儀は、1892年に秋田県由利郡小出村(現、仁賀保町)に生まれ、東京外国語学校シャム語科を卒業した。大日本雄弁会講談社に入社したのち、大隈重信が主宰する雑誌『大観』の記者を経て、報知新聞で大隈重信の専属記者となる。 ...
福山甚之助と新聞「家庭」

福山甚之助と池田林儀―『優生運動』が機縁か―

福山甚之助が池田林儀のことを知る(そして「家庭」紙への原稿執筆を依頼する)きっかけは、アムンゼンの札幌来訪とは別のところにあったとも考えられる。 甚之助が池田の寄稿文「新興ドイツの現状」の冒頭で著者の池田について紹介するにあたり、「池田林儀氏は、先年彼の北極征服の偉人アムンゼン氏と共に来道せられ、その講演の通訳にあたられたかたであります」と書いたあとに、「同氏は又一面我が国の優生運動にも多大の尽力...