ニセコアンヌプリ

中谷宇吉郎

すばやく動き出す

北海道帝国大学理学部で敗戦後はじめての教授会が開かれた、1945年8月18日。その日、札幌の街では様々なデマが飛び交っていた。「道庁の屋上にソ連旗が翻っているそうだ」「東京に敵が上陸して一両日中には札幌に来て市中を銃剣附きで巡察する」「明日から政府が変わるので今日中に貯金の払い戻しをしないと貯金が取れなくなる」などなど。新聞には「止めよ、疑心暗鬼」「紊すな、祖国再建の歩調」などの見出しで、注意を喚...
中谷宇吉郎

『着氷』の挿絵

中谷宇吉郎は戦時中、岩波書店から「航空新書」シリーズの一冊として出版する予定で、『着氷』と題する書を執筆した(注1)。北海道のニセコアンヌプリなどで行なった、航空機への着氷を防止するための研究について、わかりやすく解説したものである。 しかし出版には至らなかった。戦局の悪化により、岩波書店が出版を断念したのである。原稿は中谷に戻された。 それから70年ほど後の2012年、「中谷宇吉郎 雪の科学館」...
中谷宇吉郎

国葬日に地鎮祭とは

『中谷宇吉郎』(ミネルヴァ書房刊)の77頁に記したことであるが、中谷は1943年春からニセコアンヌプリ山頂に着氷観測所の建設を開始し、6月5日に頂上で地鎮祭を行なう。この日はちょうど、山本五十六の国葬日だった。 しかも中谷たちは、この日、単に地鎮祭を執り行なうだけでなく、アンヌプリへの入口にある青山温泉に「関係者一同」を招待している。皆、たいへん喜んでくれ、観測所の建設に協力してくれるというので安...