福山甚之助と新聞「家庭」パテーベビーとは 『福山甚之助と新聞「家庭」』の第5章第5節の「映画」の項(150頁)で、「パテーベビー」に言及した。 出典: 大蔵省印刷局 『官報』1927年12月14日、日本マイクロ写真、1927年。国立国会図書館デジタルコレクション この映画システムについては、技術的な概略や日本での普及状況などを中心に、以下の記事に詳しく書いた。 パテーベビーをめぐる日本国内の状況(1920年代) (PDFをダウンロードもで... 2023.05.26福山甚之助と新聞「家庭」
福山甚之助と新聞「家庭」清水真一によるパテーベビー作品 清水真一が1930年前後に9.5ミリの「パテーベビー」で撮影した映像作品のうち,いくつかが YouTube で公開され,清水真一翁顕彰会のウエブサイトからリンクが張られている. それらのうち科学史の観点から見ても興味深いもの2作品について,以下に書き留めておこう. 一つ目は,「秋の旅/石山→大津→叡山→花山山/昭和5年9月6,7日/蘭契会」ならびに「秋の旅/前巻よりつづく」という作品である. この... 2022.07.23福山甚之助と新聞「家庭」その他
福山甚之助と新聞「家庭」清水真一の,天文学と写真撮影への関心 天文写真の撮影に腕を揮った清水真一は,いつ頃,どのようにして,天文学や写真撮影に関心を持つようになったのだろうか. 清水真一が自宅屋上に設けた「知新観象台」(出典:『天界』14(156)口絵) 清水によれば,自分が「初めて天文の話を聞いたのは1922年のこと」だという.この年の10月31日に「私の所属団体」の主催で,京都帝国大学理学部の新城新蔵に「天地開闢 付相対性原理」という題で話してもらった時... 2022.07.21福山甚之助と新聞「家庭」その他
福山甚之助と新聞「家庭」清水知新とは清水真一なり 清水真一(1889-1986)は,静岡県島田市で薬局を営みながら自宅屋上に設けた私設の天文台で天体観測を行ない,1930~40年代に重要な業績をあげたアマチュア天文家である. 最もよく知られている業績は,1937年1月末に,1909年に発見されて以降,行方不明となっていたダニエル彗星を,広瀬秀雄(当時,東京天文台の技手)の計算に基づいて捜索し,首尾よく検出に成功したことである.この再発見は世界的に... 2022.07.18福山甚之助と新聞「家庭」その他
福山甚之助と新聞「家庭」パテーベビーをめぐる日本国内の状況(1920年代) 札幌でミニコミ紙「家庭」を主宰した福山甚之助は,1930年の秋,家庭社に「家庭シネマ部」を設け,小形活動写真の出張撮影・出張映写・現像のサービスを開始すると発表した(1930年11月発行の「家庭」第56号). 「小形活動写真」とは一般に,フィルム幅が普通(35ミリ)より小さいもの(16ミリや8ミリなど)を指すのだが,ここで福山が言う「小形活動写真」は,フィルム幅9.5ミリのもの(いわゆる「パテーベ... 2022.07.01福山甚之助と新聞「家庭」その他